2012年9月24日月曜日

子どもと見るDVD 

忘れてしまわないうちに、メモ。
ネットで、世田谷区内のツタヤの一部で放射線の測定器が借りられるという情報を見て、しかしあまり公式ページに公開されているようでもなく、半信半疑で電話してみると、そうだということで、借りに行きました。それで、2週続けてDVDを借りました。
子どもと自分が楽しめるというのが鍵です。

1週目、

かえるくんとマックス ja.wikipedia.org/wiki/かえるくんとマックス  
小さな哲学者たち  tetsugaku-movie.com/
ミトン          www.he-artcinema.com/heart/mitten/
(ソフィアの夜明け  www.eiganokuni.com/sofia/  )



2週目、
4つのいのち     www.zaziefilms.com/4inochi/
メアリーポピンズ  ja.wikipedia.org/wiki/メリーポピンズ  
私ときつねの12ヶ月 ameblo.jp/kitsune12

つみきのいえ    ja.wikipedia.org/wiki/つみきのいえ




一応タイトルの横はホームページ。公式が見当たらなかったものはwiki等です。


1週目のDVDたち。
4つのうち3歳の娘に圧倒的人気は、「かえるくんとマックス」。2回も見ました。明るい話で、親の自分も楽しめた。

「小さな哲学者」たちは、とても期待した割には、mmmmmという感じでした。たぶん、普通に子どもとずっと接していると、そこからの発言のほうが面白いぐらいに感じてしまうのかな。

「ミトン」は、残念ながら気がついたら終わっていました。

「ソフィアの夜明け」は、自分用。でもどうしても閉塞感のある暗い雰囲気の映画が見たくなくて、ほとんど見ずに残念。画像がきれいに感じました(素人には)。


2週目のDvd,子ども的ヒットはあまりなし。
そのなかで、「つみきのいえ」は、短いこともあり子ども完見(こんなことばあるのだろうか?)していました。ちょうど数日前から水彩絵の具で絵を描き始めた彼女は、「○○ちゃんね、こんなきれいなえかきたいんだ!」と何度も言っていました。本当に短いけれど、環境設定とストーリーに深く心を打たれました。ちなみにこのDVDはずいぶん前のおばあちゃんからのプレゼント。

自分としては、イタリア語の勉強のためにかりた「4つのいのち」がまさかのせりふなしというすごい映画だったことが衝撃でしたが、この静けさの淡々とした自然と人の営みについての展開にとてもこころをうたれました。少なくともその点で、オルミ監督の「木靴の木」を超えるものがありました。

「メアリーポピンズ」は、「サウンドオブミュージック」に大感動した自分としてはかなり期待したのですが、この時代のアメリカのポピュラーなミュージカル映画はどうもストーリーより速いストーリー展開といろいろてんこ盛りな感じで、大きな音で聞いていたわりにはついていけずに寝ていました。子どもはずっと寝ていました・・・・

唯一、完全に子どもの意志で選んだ「きつねと私の12ヶ月」は、きつねが山猫?においかけられる最初のほうの場面で、「こわいこわいもうみない」といいはじめて子が断念。





2012年1月6日金曜日

2歳半との登山&ハイキングメモ

登山&ハイキングメモ その2

年末年始にかけて2回
1回目 小田急線本厚木からバスで20分ほどの丹沢の七沢温泉郷にある森林浴のコースのひとつにチャレンジ。標高は300メートルぐらい。その丘陵みたいところを縦断するコース。2時間半かけて完歩!!(11:00-13:30)。最後は眠たい眠たいと言って足が止まるのを、今ここでやめたら全部歩いたっておじいちゃんおばあちゃんに電話できないよとか、連絡帳にかけないよ、とか言いつつ最後まで頑張ってもらった。真冬でも案外緑があり、歩きやすかったが、あまりに縦断が続くので、途中で引き返した。


2回目 JR藤野からの徒歩30分ほどの金剛山(標高400メートル弱)に。8分目ぐらいまで行ったと思うが、たくさんの乾燥した落葉に滑り、急な直線の斜面で私が支えきれず子を支えていた手を離してしまい、その際に、枯れ枝で鼻の穴をついたらしく大出血。大惨事となってやむなくお父さんのおんぶで下山。ネットで下調べして2歳の子を連れてのケースがあったから、大丈夫と思っていたが、あまりのツルツル落ち葉に歩くことを十分楽しめず疲れた。山は3-400メートルでも侮ってはいけない。

2011年11月7日月曜日

2歳5ヶ月の誕生日の高尾登山

ちょっとメモです

週末にわが子、2歳5ヶ月になりました。
最近は月のバースデーなんてどんどん過ぎていくのですが、その日、家族3人で高尾山に登ったのです。

そこで、上りのみケーブルカーを使ったものの、上りは全て、そして下りも3分の1から2分の1はねてしまって抱っこになりましたが、「かっこいいお兄ちゃんを探す!」という目標のもと、そのほかは歩きました!去年との違いに、本当に驚いた。

それにしても高尾山、小さい子連れがちょうど良いぐらいののろのろペース。というのも恐ろしい人ごみで、行列になって歩いたからでした。それにも驚いた・・・

2011年10月3日月曜日

すっかり放置でしたが・・・

明後日2歳4カ月になります。
成長報告、すっかり放置してしまいましたが、今後も同様になってしまうと思うので、一度休止ということにいたします。(でこのまま、また放置します・・・)。
最近では、放っておくと何やらずっとしゃべっているし、先日など、父親にぐちぐち注意を受けていたら急に、「とうちゃん、うるさい!」と・・・・・



大変遅れましたが休止のご報告まで

2011年6月7日火曜日

2歳!!!


とうとう1歳12ヶ月、いえ2歳になりました!
先月末に駆け込みで受けた1歳半検診では、13キロ、88.8センチでした。

まあとにかく元気のある子で、ありがたく思っています。

ごく簡単に成長メモを
*身体
・ジャンプが大好き、ベッドや遊具でもジャンプジャンプ
・走るのが速い
・曲に合わせて体を動かすのが好き


*生活習慣
・歯磨きとうがい(の真似)ができるように。その後の食べるキシリトールが狙いらしい。
・トイレは完全ストップ中
・自分のオムツと服は自分で決める。
・野菜を食べない。まだ母乳中・・・・・

*興味関心
・ピンク色がすき、イチゴがすき
・泣いている子がとても気になる。「ないてるね」という。
・目下電車のおもちゃがすき。道でトラックとバスを見つけると、「バス!、トラック!」と叫びバイバイする。
・本持ちの割にはさほど本には関心がないらしい。

*言葉
・親の言うことはわかっていない部分も多い。しかし言葉の交渉に応じられるようになった。
~だから~しようね、~だったら~するよ/しないよ等
・親の言った文章をそのまま繰り返していうことができる
・ひとりでいろいろしゃべっている(わからないことも多)
・先月までネガティブなことの実況をしゃべることが多かったが~おちちゃったね、いっちゃったね等、最近は誘いの言葉などもふえて来た。~しよう等

短いですが、やっぱり先月と比べると、大きく成長しています。
2歳は「言葉の爆発期」とも言うらしいですが、ちょっとそんな感じ。

2011年5月16日月曜日

1歳11ヶ月(2011.5.16)

ふと気がつくと、既に、最後の1歳の月の誕生日である1歳11ヶ月も半ばを過ぎようとしています。

原発事故は、いよいよ不透明に。しかしそれをフォローするだけの余力もなく、なんとなく日々が過ぎていってしまいます(過去の原発情報の和訳は改めてみると相当ひどいような・・・・すみません)。
今は食べ物が目下の心配ですが、風評なのか本当に汚染されているのか確固たる証拠もないまま、福島以南の近隣県の農産物については、小さな子のいる身としては漠然と避けざるを得ず。大好きなお魚さんも、なかなかすっきりした気持ちで購入することができません。

そんななか、5月のすばらしい新緑の中、両親は仕事とわが子で疲労困憊で、最近は近所以外に外出することも少ない状況です。

わが子の今月の成長について、ごく簡単にメモを。

○言語
・何を言っているのかわからないがよくしゃべっている。
・状況説明をよくするように(・・・おちちゃったね、・・・こわれちゃったね、・・・危ないね、・・・いっちゃったね)。そういえばなぜだか←このようなネガティブ発言が多い・・・
・動物の名前などが増えた。
・色の名前がピンク以外はなかなか覚えられない。色の概念がはっきりしていないせい?
・本や歌を読んだり歌っていたりすると、なんども「も(う)いっかい」と繰り返させる。そしてそれをよくきいて覚えようとしている。
・変な替え歌をよく歌う。「○○(本人の名前)ちゃんの栗のきのしたで~」等々。結構、字余りなくきれいに本人挿入の歌詞が納まっているのがうける。
・先日急に「母ちゃん大好き」といってぎゅっと抱きつかれた。普段そういうことは全く言わないのでやられた。。。。


○身体
・まあとにかく動き回り、動作が俊敏な子です。
・アスレチック公園の3メートルぐらいはありそうなロープでできたネットのようなところを上りきった。
・他の遊具への目移りが異様に早く、そこへかけていく足の速さもタイムでも測っているのかというぐらいに速い。
・フリマで200円で買ってもらった三輪車がうれしくてたまらないよう。まだペダルが回るのには足がついていっていない。(おそらくこれまではペダルなしの乗り物おもちゃにしか乗ったことないのだと思う)まあ1週間後には自分でこげるようになるのでは・・・
・鉄棒で前転をした。(もちろん全面的な親の補助つき)着地の後きょとんとしていた。


関心
・箱に入るのがすき。
・『もぐらとじどうしゃ』が目下の一番のお気に入りの絵本
・ピンクがすき
・ウサギやパンダなどのキャラクターが入った服が好き。
・(同じくフリマで購入の)電車のおもちゃにも関心が高い。以前、実際の船や飛行機にもとても関心を示したが、結構メカニック系がすきなのか?
・自分の事を見てもらうことがとても重要。どこにでも母親を引っ張っていって、自分のやることを診てもらおうとする。母親に行くことを拒否されると、手を引っ張りながら大泣きしたりする。
・刺身好き、そして相変わらず肉好き。そしてなぜかシメジが(肉以上に)好きなことを発見。
・保育園や公園等での自分より大きなおにいちゃんお姉ちゃんたちの行動がとても気になるらしい。よくみている。
・保育園でのおまるでシーシーに成功したそう。これとは対照的に、家でトイレでのウンチは完全に中断した。


対人コミュニケーション、性格
・テンションが高い。ワーキャーとよく言ってびょんびょん飛び回ったり、走り回ったりしている。保育園でも基本的にそういうときが多いらしい。
・気に入らないことがあると、たたいたり、かんだり、仰向けに寝てかかとおとしをしたりする。目つきも怖い。これをめぐっては最近両親との間で本気のけんかに発展するように・・・(大人気ない親・・・)。昨日は三輪車から落ちて倒れてしまったときに、即座に三輪車にけりを入れているところを目撃してしまった。。。こわーい。
・ワーキャーとただ明るい子のようで、案外内弁慶で、周りの状況はよく観察していたりする。自分のよく慣れていない、知らない人がいるような場では案外慎重(ということを保育園からも報告された)。
・興味のある人やそういうことをしている場には、駆け寄って、至近距離から凝視する。しかし話しかけられたりすると、下を向いてもじもじしたりする。

2011年4月5日火曜日

IAEA放射能モニタリング+1歳10カ月


新年度が始まり忙しくなってきました。
原発関連は、公的には新たなステージに入ったという感があります。それは、事故に対する劇的な収束はもうなく、放射性物質はある程度長期にわたり、海や大気に放出されるのはやむを得ないという状況を公認してしまう(せざるをえない)ということ。そして一般住民としては、それをいかに大気、水、食物を通じて取り込まないかという点に対して、関心を向けなくてはならないということです。

私がやらなくても、誰かやっていると思うので、もうあまり更新しないかもしれませんが、上記の観点に照らして必要な(自身が知りたいと思える)4月4日のIAEAのアップデートの放射能モニタリング部分だけ、以下に略記します。 (本当に短い&有益な情報なしです。。。。)

2 放射能モニタリング
 ガンマ線量は、継続的に全県で観測されている。3月23日以降報告されている同線量は、減少している。4月4日、IAEAのモニタリングチームは、福島第一原発からなん南部、と南西部の30から41キロの7地点で計測を行った。ドーズレート( The dose rates)は 0.7~ 12.5 microsievert/時であった。同じ7地点で beta-gamma 選の汚染値は 0.1~ 2.0 メガベクレル/平方メートル(megabecquerel per square metre)であった。.

4月1日の当報告以降、食物汚染に関する重要なデータが厚生労働省から報告された。それは、4月1日に (33 サンプル(品目)), 2日に (64 サンプル) そして 3日に (37サンプル)に関してである。 報告された分析結果は、多様な野菜、ほうれん草、その他のは野菜、マッシュルーム、果物(イチゴ)食肉(牛と豚)、魚介と原乳など、12県(千葉、福島、群馬、茨城、神奈川、京都、新潟、埼玉、静岡、栃木、Tchigi(重複か??)、東京)の134品目(サンプル)のうち133品目についてであり、 iodine-131, caesium-134 and/or caesium-137 についてはそれぞれ検出されないか、日本政府の規制値以下であった。4月1日に福島県で採取されたしいたけについては、iodine-131 and caesium-134/caesium-137のいずれの値においても日本政府の規制値を上回った。

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ところで、週末、本当に短い間でしたが、家族で九州の実家に行きました。
その間、大して新聞も読まず、テレビもネットも全く見ず。そのせいもありますが、やはり地理的な条件ということが大きく、なんとなく、(少なくとも)原発事故は、違う世界の出来事のように感じました。
お魚や野菜、果物の大体は九州圏内で、ピリピリすることもなく。。。。

わが子のものすごいおじいちゃん子ぶり(&おじいちゃんの孫煩悩ぶり)にびっくりしました。そして本当に楽しく、広々とした楽しい遊具のある公園でよく遊んでもらいました(写真は、そのときのものです)。道中の、飛行機や、船に興味津々で、その場を離れようとしませんでした。

その数日間が、すでに遠い過去のようです。

そして我が子、1歳10カ月になりました。
最近では、外で見かける抱っこひもに入っている子や、ベビーカーに乗っている子の多くが、わが子より小さいのが大変印象的です。保育園でもとうとうお姉さんになりました。0歳児クラスには、まだ自分で動けないようなかわいい赤ちゃんたちがたくさん入ってきました。

成長記録としては、「~~いっちゃったね」とか「くるまあぶないね」とか「~~あるね」とか「あとで」「たべる!!」等々とにかく状況に合わせて、その説明や要求等いろいろしゃべるようになったことがこの1カ月(とくにここ2-3週間ぐらいの最も大きな成長。先月のトイレの前進は、なぜか最近後退気味です。トイレに行く?ときいてもぶんぶんと頭を横に振ります。 

被災地の、特にいまだに目に見えない災害を受け続けている原発周辺の福島県の子供たちが、健やかに過ごせるようになることを祈っています。

2011年3月30日水曜日

3月29日 IAEAの福島原発事故に関するアップデートログ

英国大使館は中断して、数日振りにIAEAのアップデートに戻りました。
今回はあまりに悩ましいgoogle翻訳を使わなかったので、その分早くできたのですが、単語の訳し方や意訳の問題が多いかもしれません。

よりよい一日となりますように!!!
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3月29日 IAEAの福島原発事故に関するアップデートログ


○現状
福島第一原発の状況は依然として非常に深刻。
汚染が蓄積された水が第1,3号機の建屋近くの配管内で計測。
26日18:30UTCで1号機のほうの水面で、0.4ミリシーベルト/時間、2号機では1000ミリシーベルト/時間。 (以下その原因についての安全保安委員会の推測や、真水注入に関しては略)

(水を注入するためのノズルにおける水温については簡略)

・1号機で273.8-299度
・2号機で安定
・3号機で61.5度、RPVの底部では120.9度

○放射能モニタリング
3月28日に、ヨウ素131は12都道府県で、セシウム137は9都道府県で検出。最高値は福島県の平方メートルあたり23000ベクレルのヨウ素、そして平方メートルあたり790ベクレルのセシウム137。(中略)新宿では、ヨウ素131とセシウム137は平方メートルあたり50ベクレル以下であった。昨日と比較して、ガンマ線値については45県では特に変化なし。

(飲料水に関する厚労省の発表については略)

福島原発敷地内の土壌における放射性物質については略-プルトニウム238、239と240の検出について)

食物汚染に関しては、3月24-29日、そして27-29日間に採取された、8都道府県(千葉、福島、群馬、茨城、宮城、新潟、栃木、山形)での野菜、果物(イチゴ)、マッシュルーム、卵、魚介類、そして牛乳等の63のサンプルで、ヨウ素131、セシウム134、セシウム137は検出されないかあるいは日本当局の規制値以下であった。

以下、FAO/IAEA 共同の食物安全調査チームが、隣接都道府県に情報提供についての言及は略。

○海水のサンプル
3月28日に沿岸30キロ地点に関する新データなし。原発敷地(1-4号機)では極めて高値を検出-略。

○海洋生物
国立水産研究所による初めての調査結果の分析が報告された。
千葉県銚子港で5つの魚のサンプルが採取され、そのうち4サンプルからCs-137の規制値以下の濃縮は(concentration)が認められた。そのうちの1つのCs-137は、キログラム(魚の重量)あたり3ベクレルで、これは摂取制限値を僅かに超えた。しかしこの濃縮(値)は、魚の消費に関する限り非常に低いものである。

海産物に(おける放射性物質の蓄積に)関して、何らかの結論を出すことはいまだ時期尚早であるが、諸段階での海水中の(放射性物質の)濃縮(値)は希釈によって低下していくと見込まれ、海産物での放射性物質のレベルは、所与の規制値を上回ることは概ねないのではないかと見られている(それは原子炉からの流出で、海水汚染が継続しないと想定した場合のこと)。福島原発周辺で海産物が採られることは現状では考えにくい、いくつかの海藻類では、ヨウ素131とTc-99mが特に蓄積されることが知られている。しかしこうした値も、該当する放射性物質の半減期は短いので、直ちに懸念されることにはならないだろう。

○海洋拡散モデリング
CNRS、トゥールーズ大のObservatoire Midi-PyrenéesのSIROCCOグループでは、モデル算定を続けている。モデルは、現状の天候と海洋の循環に基づくもので、その結果は、最初に北東領域に、損傷を受けた原子炉からの液状放出物が流れ、そしてその汚染された水は1,2週間の間で北部のモニター地点にまで到達するであろうと見られている。海中に直接放たれた探査機によるこのモデルでは、(汚染された水が)海岸伝いに南の方向へも広がることが確認される。

2011年3月29日火曜日

放射能と土壌等について―東京の英国大使館のホームページにおける福島原発事故に関するアップデート―続き

まだ終わりません。そして日々どんどん短くなっていきます(苦)
今回のところのポイントは、土壌に関することでしょうか?しかしどの(距離・汚染の)範囲でのことか具体的に言及されているわけではありませんが。。。

福島の有機農業に尽力されていた方が、自ら命を絶たれたというニュースを見ました。原発内で今この時も、ひどい生活環境の中で尽力されている方たちの多くは、被災地の方のようです。

言葉がありません。。。。

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[質問] 労働者が受けた放射線障害を含めて、原子炉で起きた最近の事故については、すべて、あなた方の算定に考慮されているのか?あるいは分析のために新しい情報を収集中なのか?

[JB] 我々は情報を得たらすぐに、状況のモデリングを行っている。このことは単に英国のみならず国際機関によっても同様に行われていること。現時点で明らかになていないのは、3号機の水の汚染である。その原子炉自体に問題があるのか、あるいは使用済み核燃料のプールに問題があるのかについてだ。しかしながら、当然、最悪のシナリオを評価する上では、我々は悲観的な予測(の方を)とっている。従って、原子炉のメルトダウンとその爆発、そして放射能の放出、それに伴う、貯水池からの(汚染物)の放出があったとしよう。最悪の、前言のように最悪の状況の場合は、すべての貯水池と原子炉が放射性物質を耐久に非常に短時間に放出し始める。我々はこれは現状では、この最悪のシナリオは、起こりうるものとは考えていない。我々は、それは極端な事例だと考えている。(しかし、)我々は最新の情報を(分析の)考慮に入れているものの、(現状では)慎重な姿勢をとっている。毎3-4時間ごとにリアルタイムのベースで、天候の変化に伴い、再計算し、分析を更新し、モニタリングを実施中である。

[質問] 私たちは危機が始まって以来の2週間、原子炉と燃料棒の自然冷却が生じてきた。今後数週間の見通しには、それがどう影響すると考えるか?

[JB] そうですね。私はあまり楽観的に聞こえることをのぞまないが、大きな事故が発生することなく日々が経過するなかで、放射能は自然のプロセスに下がって(減少して)いくだろう。また、これに従って、生産されるエネルギーと熱も時間とともに減少するであろう。しかし、それがどれぐらいの期間にわたって続くのかと問われれば、我々は安心できないと答えなければならない。これは何週間にもわたって続くことであろう。そしてエリア内の食物汚染に関して言えば、それよりもはるかに長期間を要するだろう。そのあと始末・浄化(クリーンアップ)については、この原発が正常化できるようになるまでに何年もかかると考えている。

[Jm] 農地の浄化については、それが可能かどうかは、土壌の肥沃度にかかっている。肥沃でない土地では、時間がかかる。しかし、肥沃な土地で広大な農業地帯であれば、土壌は、それなりに(reasonably)速く浄化できる。そうはいってもその期間というのは、何日か、何ヶ月かということよりはむしろ、何年かかるかという単位でのことだ。

東京での降雨と放射能量の増加についての質問と回答(明言なし)は略。

2011年3月28日月曜日

放射能と食物について―東京の英国大使館のホームページにおける福島原発事故に関するアップデート―続き

 昨日の続きです。まだ終わりません(苦笑)。仕事もあるのでまた中断します。結局ここまでで言及されていることは、日本の制限値は厳しいということ。英国政府の在日(東京)英国人に対する放射能関連の勧告は日本政府のそれに従っていて問題ないということらしいです。

 ただここにある通り、原発の状況は依然非常に深刻。劇的な動きがなくしても、このまま放射能が環境中に、土壌、海洋、大気中に放出され続けたら、日本の制限値が厳しいなんてことも言ってられないと思います。

では皆さまよい一日を!
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[JM]環境中の放射能のタイプをモニターすることは非常に容易。全く、困難な作業ではない。そして、重ねていうが、放射能のタイプすべてについて規制するという役割については、日本人がこれを助ける(それには日本での作業が有効)。

[質問] 東京在住の英国市民の為の(外務省?の)渡航勧告のレベルは何によ手引き下げられうるのか?

[JB] 先に示されているように、渡航勧告は、放射線の問題のみを前提とはしていない。全体的な混乱とその時点で、(治安等が)非常に不安定で生活が困難であることで決められる(次第である)。前言のように、放射能の観点では、東京でハッピーに生活し続けられない理由にはならない。

[質問] あなたは汚染地域からの食物を食べないように言ったが、私はあなたが80キロ圏内より広範なエリアについて言及しているように理解したが、実際どれだけのエリアを想定しているのか?

[JB] エリアに関しては、日本当局によって監視されなければならないし、彼らが与えるアドバイスが適切であるであろうと考えている。(以下略)要旨としては、日本の基準は欧米よりも厳格で慎重である。

[Jm]私加えて申し上げたいのは、こうした事態が英国で起こったと想定するなら、我々は通例食品禁止(令)は、人々が避難している(evacuationg and sheltering)エリアよりもより広範なアリアをとらなければならない。そして、またその禁止はおそらく長期的なものとなるだろう。規定は日本政府に任せる。またその範囲は避難指示エリアよりも広範に至る。

[JB] Jmが良い指摘をした。私達は原発から30キロエリアだけの話しをしているのではなく、原発周辺の重要なエリアについて話している。何故なら、風向きの変化や降雨を受けるだろうから。それらは、植物や水に蓄積され、放射能を含む海水は、植物から流れ出ているものである。従って、(汚染は)30キロ圏内より非常に広範にわたる。(食物等の制限エリアの設定は)日本東京区のモニタリングによってそれがどれだけの範囲にわたるのかが決定されるであろう。


[質問] さきほど回線状況で聞こえなかった、沸騰させた水についてのコメントをお願いする。

[JM] 放射能レベルは非常に低い。これは、単独の、特定された事象にすぎず、現在では放射能レベルは元に戻っている。その他に私が申し上げたいことは、水の煮沸は放射能の除去にはならないが、バクテリアやウイルスの除去にはなるということ。現在の日本においてみられる混乱をもってすれば、そうした(後者)による水の汚染の危険性もありうる。
その他唯一申し上げたいことは、我々は現在福島で生じている事態について非常に懸念しているということ。しかしこれまでに大規模な放射能の放出というものは当地でなかった、従って食物の汚染(に対する措置)は、適切で予防的で慎重なもの。もしも根本的(大規模な)な放出となったならーいまだそうした事態は確認されていないが、というのは、リアクターか,それに類似するところでのメルトダウンについて言及しているのだがーそうした状況においては食品についての勧告は重大なこととして考慮されなければならない。しかしながら日本は我々の観点からみても完全に慎重な対応をとるとみられる。

2011年3月27日日曜日

東京の英国大使館のホームページにおける福島原発事故に関するアップデート

 東京の英国大使館のホームページにおける福島原発事故に関するアップデートを見てみました。
政府主席科学顧問と保険局の専門家2人と駐日大使の電話対談が起こされたもののようです。
うちでの1.9歳児の妨害はすさまじく、半分程度ででとん挫。意味がとりきれてないところや誤訳、誤字脱字たくさんもあるでしょうが、安心する気持ちが少し生まれてくる言及です。


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2011年3月25日20:47更新(英国時間) 

政府主席科学顧問から駐日大使への日本に関するアドバイスのアップデート

2011年3月25日
政府主席科学顧問、ジョンベディントン卿は、3月25日、日本大使のディビッドウォレンに日本の現状に関してアップデートを電話で伝えた。

以下、電話会談を起こしたもの。

[大使ディビッドウォレン:大使DW] まず現状評価とそのご質問に対する回答をおねがいする。

[政府主席科学顧問ジョンベディントン:科学顧問JB] ここには昨日会議を行った、2人の専門家の同僚が同席。第一に原子炉の状況、それから水と食物に関するコメントを行う。

原発の状況はいまだ明らかに非常に深刻。しかし、日本当局がいくつかの進捗的状況を形成しているのも事実。5,6号機は、クールダウンしていて安全とみられ脅威ではない。以前に我々が想定した最悪、本当に最悪の事態というものは、現状ではより発生可能性は低くなっている。いまだ懸念要因はあるが、いくつかの前進(事態の好転)も見られている。


原子炉に注入されるのが海水から真水に代わって敵いることや電源回復は良いニュース。全体として進展しており、特にこの数日間はそうであったがいるが、今だ非常に深刻な状況。

[大使DW]水と食物汚染に関して。

[科学顧問JB]まず第一に、日本当局によるアドバイスは非常に賢明だと考えている。それに従うことを勧める。それ以外についてコメントしたいことは、(現在の)日本でとられている放射能レベルに関しての勧告の進展というものは、英国やヨーロッパでより一般的に用いられているそれより、より慎重であるということ。3月23日に報告された水道水供給については、短期的には、すべての年齢グループにとってほとんど安全と言えるレベル。田多水道水の消費については、赤ちゃんは避けるべき。それについては、同席する同僚の保健局のHilaryWalkerに。

保健局のHilaryWalker] 科学顧問JB(ジョン)の言うように、日本の推奨事項は、英国のものよりはるかに慎重。しかし(日本の)これらのレベルは、非常に長期にわたって水道水を消費することを想定した値であることに留意すべき。

[科学顧問JB]これは単発(であることを見越した勧告である)のこと。それについての説明は(今後)求められるであろうが、現時点では日本からの勧告は完全に賢明なもの。水道水は戦場についても安全で、子供のお風呂にミネラルウォーターを使用する必要はない。

(安定ヨウ素剤については略)

それは水で物事を終了します。私たちは日本政府の推薦を意味見ている濃度の並べ替えが完全に予防的賢明された。私はコメントをして、Jill Mearer [保健学科]お願いしたいと思います。

[Jill Mearer 保健局]](日本で検出された)レベルは、英国で水を飲まないようにという勧告が行われるレベルよりも下回っていることを申し上げたい。日本では、英国よりもより、慎重である。英国で同様のことが生じても、英国では飲料を控えるようにという勧告は出されないだろう。そしてまた、我々が留意すべきは、英国の勧告(の際の放射能レベル)は、2ヶ月間全体での(放射能汚染された食物の)消費を基準としていること。今、日本では、時折、水と食物に発見される放射能レベルが上がってている。 しかし、(これと同時にこうした汚染への)日本当局の対応は、時間レベルでの範囲で行われていることがわかる。そして、赤ちゃんへの水を飲まないようにという勧告も一日間のみであった。従って、こうした場合には予防的により高いレベルをとったということだ。当局が非常に警戒しているときに、2ヶ月間事態が暗転するということはほとんどないのではないか。


[科学顧問JB]食品の話にうつろう。ここまで過去の食品についての話をしてきた。私のアドバイスは変わらない。汚染された地域からの食物は避ける。原発から拡散した放射能の蓄積、そして(原発の)隣接地域の食物の放射能の量は、モニターされ続けている。しかし基本としては、そうした(原発隣接)地域からの食物を避けること。海洋環境については、海産物を酒、特に貝・甲殻類(shelfish)と海藻を避けること。これらにはより高い放射能を蓄積するメカニズムがある。魚類はあまり多くを蓄積しないが、一般的には(原発隣接)地域からのものは避けるべき。日本当局による魚介類のコントロールのためのガイドラインのドラフト(草稿)は、英国当局、食品基準局(Food Standards Agency)そしてとくに DEFRA(英国環境・食糧・農村地域省)によって調査されてきており、英国当局は、日本当局の対応が、慎重かつ適切なものであるということに同意している。

食物に関する状況は、顕著に変化し続けている。しかしながら、私がカギとなること考えるのは、当該地域の生産物を避けることである。食品についている表示でそれが具体的にどこで生産されたものかは分かるはず。もし疑わしいと思うなら、念のために食べない。当該地域からの食物と海産物については、長期的な汚染という問題があるだろうが、それは将来的な問題。現時点では、その地域のあらゆるものを避けるように。


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途中までですが以上です。また続きやります。ではよい夜を。

2011年3月26日土曜日

フランス放射線防護原子力安全研究所 (Institute de Radioprotection et de Sûreté Nucléaire-IRSN)

フランス放射線防護原子力安全研究所 (Institute de Radioprotection et de Sûreté Nucléaire-IRSN) による日本語のPDFファイルでの情報提供があります。
今回の福島の原発事故に関連する(報道されている)フランスの各種対応については、単純に「すごい」としか言いようがないです。

http://www.irsn.fr/EN/news/Pages/201103_seism-in-japan.aspx

アメリカのNRC http://www.nrc.gov/は自国のことがメインで、日本国内在住の日本人には、有益ではなかったです。IAEAの情報もちょっと・・・これからこっちの情報をフォローしようかしらと考えているところです。

今日、1歳児を連れて外出してしまいました。1歳児が最も、ヨウ素131に関連する健康被害(甲状腺ガン)に敏感であるなんて知りませんでした(後悔)。正しい情報は重要です。

2011年3月25日 15:30 UTCおよび15:45UTCに行われたIAEAの福島原発事故に関するアップデートログ 

思っていたよりもIAEAの報告は一般的(すぎ)なので、一部のみ粗訳です。
いろんなウェブページを見ていると、すでにチェルノブイリの事故当時に放出された放射能の量(?)を超えているなどという記述もありました。 子供の甲状腺検査に関しても、数量データはありませんでした。。。。

福島県原子力事故に関するIAEAの摘要(2011年3月25日、15:30 UTC)

○現状
過去24時間において、福島第一原発の状況には大きな変化はなかった。いくつかのポジティブな動向がある一方で、深刻な懸念を有する不明瞭なエリアは残されている。

(上記を踏まえて略)

○放射線モニタリング

福島第一原発現地での放射線モニタリングでは、線量率の減少がみられる。

放射能の沈着は、日本当局により、47都道府県で毎日監視されている。 3月23-24日の間に、放射能の追加的な堆積が47都道府県中7都道府県で検出された。値には顕著な差異があり、平方メートルあたりのヨウ素131は42~16,000ベクレル、平方メートルあたりのセシウム137の最高値は210ベクレルに上った。東京の新宿区では、ヨウ素131の平方メートル当たりの蓄積は13000ベクレル増加し、セシウム137は平方メートル当たり160ベクレル増加した。

海洋環境に関しては、空気と海水のサンプリングは日本の文部科学省によって実施続行中である。結果は、評価のためのIAEAのモナコの研究室に送られた。

海洋環境における測定は、3月23日とその翌日に、当該原発から沖合30キロ地点と放電地点(discharge points)から330メートルの地点で行われている。3月25日までに利用可能なデータ値は、ヨウ素- 31(131?)(約80ベクレル/リットル)とセシウム137(リットル当たり約26ベクレル)を示している。この汚染は、概ね、海流の巡廻よりは、大気中の放射性降下物によるものであると考えられる。この初期的な海面表面の汚染は、海洋で急速に希釈されると予測される。ヨウ素131の半減期(8日)と比較するとセシウム- 137の半減期(30年)は長期間にわたるため、より重要となる。これらの放射性核種の分散のモデリングは、開始されており、間もなく最初の結果が利用可能(公表)される。(放射性物質の)海洋での拡散は、当然、大気中でのそれよりもはるかに遅い。

(食品・飲料水に関する部分は、日本での一般報道と同様で、省略)

3月25日、IAEAの放射線モニタリングチームは、福島第一原発から、34、62キロの地点で追加測定を行った。線量率は毎時8.8,0.73マイクロシーベルトであった。同じ場所でのβ-γ汚染測定の結果は、平方メートルあたり0.96,0.07メガベクレルであった。

天野事務局長は国連事務総長や事故に関する他の国連組織のヘッドらと、ビデオ会議を行った。加えて、IAEAの主導で、国際機関の放射能共同管理計画(JPLAN)(?)を介して緊密な連携が継続される。

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福島第一原子力事故のアップデート(3月25日15:45 UTC)

日本当局は24日、福島県原発周辺の避難所で66人の子供(このうち14人は幼児)に対して、甲状腺の検査を実施したことをIAEAに報告した。この検査は、川俣町保健センター(福島第一原子力発電所の40-50キロ地点)と川俣町の山木屋支所(福島第一原発から30-40キロ)で行われた。

3月25日の原子力安全保安院のプレスリリースによると、検査結果は、1〜6歳の14人の乳幼児を含む全66人の子供の線量率dose rateは、バックグラウンド(?)のレベルと比較して大きな差異はなく、原子力安全委員会の見解に照らしても問題のないレベルとされた。

(原発のⅠ-4号機に関して1パラグラフは略)

2011年3月25日金曜日

2011年3月24日 21.30UTC  IAEAの福島原発事故に関するアップデートログ 

原発に関する事態が一進一退で、よくつかめないので、IAEAのホームページから、福島原発事故に関するアップデートログを日本語訳してみることにしました。所詮、日本当局からの情報提供がメインだろうから、大差ないかもしれませんが、(ウイーン本部での参加国への説明に際して、日本語資料を配ったという)保安委員の会見を見るよりは相当落ち着きます。

私は典型的文系で、見直しもなし。英語が得意とはいえない。誤訳もたくさんあるだろうが、あげます。2時間近くかかったから、明日もできるか未定。

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福島県原子力事故に関するIAEAによる摘要 2011年3月24日、21.30UTC (世界協定時間)


2011年3月24日、科学技術省のIAEA事務局長特別顧問グラハムアンドリューが、日本の原子力保安の現状について、ウィーンのIAEA本部で15時30分に加盟国に以下の報告を行った。

○現状
福島第一サイトで原子炉に関しては、全体的な状況は依然として非常に深刻だが、直近の24時間についてはいくつかの良いニュースが報告されている。

AC電源が接続されたので、計測(instrumentation)は、1、2、4号機で引き続き回復中である。第3,4号機から避難していた作業員は、3月23日に黒煙の排気がないことが確認されたから作業に復帰した。

原子炉圧力は、1号機で増加中、2号機の圧力測定値は不安定、第3号機では、給水パイプを介して注入され続けていることで安定。原子炉圧力容器(原子炉圧力容器)の給水ノズルの温度は、1および3号機で低下(1号、243℃;3号約185℃)、そして2号機で安定(約102℃)。5号機および6号機は冷態停止中でそれはオフサイトのAC電源と、既存のプラント機器の使用を通じて維持されている。また、1および2号機の格納容器とサプレッションの線量率(dose rates)はわずかに減少している。

○放射線モニタリング
IAEAの放射線モニタリングチームは、福島県原子力発電所から21キロ~73キロ地点で、追加測定を行った。当該原発から西方向に34~73キロ間の地点では、線量率(Dose rate)は毎時6.9マイクロシーベルトから0.6マイクロシーベルトであった。同じ場所では、β-γ(汚染)測定の結果は、平方メートル当たり0.4メガベクレルから0.04メガベクレルであった。

当該原発から北西方向に30~32キロ間の地点では、時間当たりの線量率が16〜59マイクロシーベルトを測定した。これらの場所では、β-γ(汚染)測定の結果は、平方メートル当たり3.8~4.9メガベクレルであった。時間当たりの線量率が115マイクロシーベルトを測定した、当該原発から21キロ地点では、β-γ汚染レベルを決定することができなかった。

IAEAの第二モニタリングチームは、本日から、福島と東京で作業を開始した。これまでに蓄積されている放射線核種についてより詳細な確定を行う。

日本の当局による、福島第一原発現地でのモニタリングは、空気中の放射性核種濃度について、3月19日~​​23日の間に収集されたサンプルから、3月23日に新しいデータを作成。

モニタリング対象の6つの放射性核種のうち、ヨウ素- 131は、日本で設定された制限値を超えることが明らかになった。全体的にみて、線量率は3月21〜23日の間に毎時1930から210マイクロシーベルトに減少していると報告された。

10都道府県で報告されているヨウ素131とセシウム137の値は日によってかなり変化がある状況が続いている。東京での最近降雨とそれによる湿性沈着は当地での値の増加の要因といえる。新宿区の日本当局による新宿区での測定値では、同月22-23日の間にヨウ素- 131は平方メートル当たり36 000ベクレルの増加、セシウム- 137は平方メートル当たり340ベクレル増加した。

日本の文部科学省の船舶による海洋環境に関するモニタリングが始まった。当該原発から約30キロ地点での沿岸海域で、3月23日に、海水と大気のサンプルが採取された。線量率の測定も行われた。 3月24日の結果は、8地点について、表面海水でヨウ素131が、リットル当たり24.9~76.8ベクレル、セシウム- 137がリットル当たり11.2から24.1ベクレルを示した。また海上の空気中の塵埃中の核種濃度も測定された。これらの結果は、IAEAの海洋環境研究所の専門家によって評価中である。

食品、牛乳や飲料水に関する放射性核種濃度についての新たなデータが日本当局から提供されるようになった。サンプリングが行われたのは主として福島県と茨城県について。 3月18~22日の間にとられた11の野菜のサンプルについては、ヨウ素131とセシウム137のレベルは食物や飲料摂取について設定された制限レベルを超えた。また、3月16-21日に茨城県と福島県で採取された牛乳のサンプルの値もでもヨウ素131とセシウム137の許容レベルを超えた。加えて当該期間中の両県において、また東京都でも、16-21日の間、いずれも飲料水におけるヨウ素131の値は許容レベルを超えた。

さらなる、サンプリングと分析については数日中に、日本当局によって実施されるだろう。FAOと IAEAの合弁での日本に対する使命は、食物汚染に関連し手日本当局によって収集されたデータについてのサンプリングストラテジー、分析、解釈に対するアドバイスと支援を行うことであろう。

総括すると、福島第一原発で原子炉の状態に関連する技術的懸念(問題)は、いくつかの点において(以前と比較して)僅かにより劇的ではなくなっているように見られ、環境、食品、水中の放射能(の問題)が、より重大な(問題)となりつつある。しかしながら、福島第一原発に関する全体的な状況はいまだ非常に深刻な状況にとどまっている。

2011年3月23日水曜日

1歳9カ月になったけれど

地震からすでに10数日がたちました。明後日で2週間。

週末に、googleの避難者名簿のテキスト化ボランティアをしたり、東京都から物資を被災地に届けられるということで、鹿児島や大阪の親族から送ってもらったおむつ、おしりふき、乾電池、マスク、軍手などを都庁宛てに送ったりしました。それから、壊滅的な被害を受けたある自治体(市)に募金をしたいと考えたのですが、ホームページは、とまったままでした。今後は意識して被災地域のものを消費したり、旅行したりして、ポジティブな気持ちで、復興に参加できればと思っています。そして自分もはやく、このもやもやした日常から抜け出して、普段の「日常」以上にパワフルな日常生活を送りたいと思っています。

とはいうものの。。。。現実のこととは思えなかった2週間。。。今でも続く断続的な余震で、平衡感覚が狂い、どこか浮遊しているような気分の悪さ。その感覚は精神的にも同じで、先行きの見えない不安とおそらくその不安を和らげるための自衛的放心状態とのあいだで時が過ぎていきました。

被害にあわれた方、大事な人をなくされた方へのお悔やみの言葉があまりに軽々しく聞こえるようで、どういう言葉があるのかも思いつきません。

東京でも、これまでに体験したことのない震度5強の揺れを初めて体験しました。
食器棚は倒れなかったものの、その中に飾っていた陶器の小さな置物たちやお猪口たちが音を立てて落ちていきました。食器棚のガラスの扉が割れるかと思いました(たまたま本棚とテーブルが食器棚が容易には倒れないような形で配置されていました)。そういう揺れが長いこと続きました。どーんというような縦揺れはなかったように思います。なぜかこの1ヶ月ほど、阪神大震災のときの動画や情報を探してみていたのですが、それとはレベルが違うとはいえ、震度5強は思っていたよりも揺れなかったようにも思います。

この地震だけでも、自分にとってはかつてない体験だと思っていました。しかしその直後から今日まで日本の関東・東北地方の沿岸部を中心に起こったことは、そのようなレベルのものではありませんでした。その直後からTVに映し出されるようになった、津波による恐ろしい光景。さらに、原発事故。

地震の当日は、午前中にうちから離れたところにある図書館にいったのですが、仕事が手につかないから帰り(第6感とかではなく、私にはしばしばあること)、帰宅したほとんど直後に地震が来ました。もしもう少し図書館を出るのが遅れていたら、どれだけ帰宅に時間がかかっただろうかと思います。都心は、基本的に大きな被害はなかったものの、震度5の地震はあっけなく交通機関を寸断しました。相方(お父さん)も、歩けば20キロもない(直線距離で10キロ)と思われる職場との距離ですが、帰宅難民となり、翌朝帰宅しました。

私には仙台に親族が何人もいるのですが、みんな大丈夫ということでした。が、そのうちのひとりの叔母は、いまは単身、高齢で、壊滅的な被害を受けた区の隣の区の新しくはない木造家屋に住んでいたので、とても心配しました。彼女とは1週間後にようやく直接連絡が取れるという状況でした。みんな「大丈夫」というのだけれど、TVで避難所で生活されているお年寄りが「元気だから心配しないで」と一様に言っているのを見ていると、今の緊張状態にあるその「大丈夫」を過信せず、見守って生きたいです。

ところで、今回、首都圏の人が恐れたのは、高確率で再来する余震ではなく、原発事故による放射能だったと思います。その事故も、各所に電源が入ったようで、冷却機能の回復に向け、ようやく事態収束の兆しが見えてきました。昨日、それまでのあまりに先行きの見えない関係者の会見に、もしかして日本政府はでたらめを・・・、と思い、IAEAのホームページで情報収集したのですが、基本的な情報としては必ずしもそういうこともなく、またそこに書いてあった一部地域で、通常の1600倍の放射能が検出されたという件も、いくつかの国内主要メディアでは報道されていて、少し落ち着いたのでした。

しかし、インターネットでいろいろな情報を収集してみると、福島県内でのオフィシャルな放射能の測定値が非常に限られていることや、全体としてメディア露出の専門家の方たちの「大丈夫」については、いまだ不信感をぬぐえません。「直ちに影響がない」レベルといわれても、その逆の、「直ちに影響がある」レベルなんてそれは、(健やかな)生命の維持が短期的に困難になるレベルでしかないのであって、それがないといわれても、納得できない。加えて、風評被害。。。まあ、ネガティブな発言をする時期ではないですね。



さて、わが子の成長報告です。

自身の前日に行われた保育園の卒園式では、各クラスが出し物をして、わが子のクラスもお遊戯的なことをしました。結構ちゃんと参加できていました。クラスのメンバーを紹介する場面では、ほかのお友達とともに、自分じゃない名前が呼ばれても、はい!と挙手。笑いを誘っていました。また全員合唱のときも、手拍子を取ってのりのりでした。本当に音楽が好きな子です。幼児のお遊戯的な曲には、いかにもな感じで左右に体を振りながら拍子をとる一方で、お気に召したヒップホップには、ほとんどyo,yo,yo!的なのりでビヨンビヨンと小刻みにゆるい縦のりを見せます。面白すぎます。

ところで、あの地震の日、あまりに横揺れが続くので、軽率に迎えに行くよりは、保育園の方が安全だろうと思い、少したってから迎えに行きました。園に行くと、園内は若干騒然としていました。なんと貯水タンクの配管が壊れて水も噴出していました。保育士さんからの報告で、わが子は、地震時には、ちゃんとしゃがんでくれたとか、その後、避難も想定して全員を布オムツから紙おむつに履き替えさせるとき、状況が飲めていないお友達をおむつ台のほうに誘導していたとか、ということを聞きました。わが子は、園の看護師さんと本人との間では、「保健係」ということになっているそうですが(笑)、やる気満々なんですね。

その後、今日まで、相方(お父さん)は自宅勤務となり、二日ほどを除いて、ずっと自宅にいました。そのなかで、何を言っているかわからないことがほとんどですが、何かをよくしゃべるようになり、それからわかる言葉もよくしゃべるようになり、とても大きく成長しています。スカイプや電話で祖父母と話すときに、「お」がつけられず、じいちゃん、ばあちゃんと言っていたのがいつの間にか転移して?最近、両親はいつの間にか、とーちゃん、かーちゃんと呼ばれるようになりました。私自身、実はこの呼び方は気に入っています。

そして、この1ヶ月間でのなによりの成長は、トイレ。ウンチのためにトイレに行くようになりました。出ないときも、もうすでに出ているときもあるのですが、率先してトイレに行き、ズボンとオムツを取り、お風呂の椅子を踏み台にして、大人の便座に自分で座るようになり、時々、無意味にトイレットペーパーを便器の中に押し込み(まだ使い方がわかっていない模様)、ちゃんとできると(出ないときも時には)「うんち、あるねー」といい、最後にはいうんちにバイバイをしてみおくるという、一つ一つの工程を楽しんでいるようです。うまくいったときは、付き添う私も達成感を感じています(笑)。



この地震は途轍もない被害と悲しみを生み出したけれど、この自然の猛威は破壊だけをもたらしたのではないと信じたいです。日常生活のあり方とか、組織のあり方とか、家族や人との絆とか、もっと広い意味での世界の人との繋がり(連帯)について新たな力を与えてくれたと考えたいです。

2011年2月24日木曜日

ここのところのこと

2ヶ月ぶりです。
ずっと書けないし、もうやめようかと思っていたのですが、久しぶり過去の投稿をずっと読み直して、やはりもう少し続けることにしました。

このブログの新しいタイトルのように、基本は月1回のまとめなら続けられるかと(最近記憶がものすごくゆれるので、1か月分の変化を正しく脳内にストックできるだけの自信は皆無だけれど)。

保育園との連絡帳にも毎月「今月のわが子」と題して、成長メモを勝手につけているのですが、それを見ても最近は毎月めきめきと音を立てて成長していることがわかります。

写真の娘は、A型インフルエンザから母親の一存でタミフルなしで苦しみつつも無事生還し(40度近い熱が3度もやってきました!)、ささやかのお祝いのための鯛を指で押して感触を楽しんでいるところ。

いろんな動物の名前や鼻歌も出るようになり、「ないねー」しか言わなかったのが、いつのまにか「あるねー」、「あった」も加わり、保育園では「かーしーてー」とお友達に言えるのですが、その返事を待たずに「いーいーよー」と言っているとのご報告を拝受。

言葉はゆっくりですが、散らかり放題の家のなかで、なぜか、米粒やゴマ粒をみつけて「はい!」と渡してくれたり、洗面台や台所(に放置していた大鍋のなかの水を目ざとく見つけたりして)での水遊びに余念がないところをみると、結構な観察好きに見えます。

毎日本当に自転車操業のなか、自分の目標達成がなかなか近づかず、折れそうになることもあります。

昨日、相方が買って放置していた孫正義氏特集的な雑誌のなかに、氏の面白い言葉があって、結構心に残りました。直言すれば、より大きな達成目標があれば、それが実現したときの喜びはより大きいわけだけど、その喜びをまず脳内でシュミレーションする。そのすごくうれしい状態で、やるべきことをどうかたづけていくか考えると、目標達成までの工程はまったく苦ではない、ということです。ビジネス書やハウツーものにはまったく関心なかったけど、「すげー、社長!それいいね!」と思いました(笑)。凡人には簡単ではないのはわかりきっていますが、このメンタル面で(もちろん体も重要!!!)での負の状態がないことってとっても重要だし、そういう部分へのメンテナンスを怠ってはいけないなあと(っていうのはつまり、たくさん休んだり、遊んだり、おいしく食べたり飲んだりね!あれ?)。

そこでふと思い出したのが、先日振り返ってみたこのブログに載せてた、わが子がまだ立てなかったころの、立ち上がり自主練光景の動画です。あれをみていたときは、本当にエンドレスの痛そうなしりもちの連続で、痛くないのか、なぜやめない?といろいろ考えましたが、本人はちょっとずつ立てる感覚を味わえて、多分すごく楽しかったんですね。

来月は再びばたばたするので、早速頓挫するようなことなく、細く長く続けていきたいです。

2010年12月24日金曜日

1歳半も過ぎて・・・

 

 お久しぶりです。
9月以来、何度か書こうとして、書けないまま今日に至ってしまいました。
久しぶり過ぎて、語調もですます調へと変更です。(笑)

わが子は先日、1歳6カ月になりました。その日は、親戚の結婚式!
ちょっとおめかしして、空港で行われた結婚式に参列。
初めて身近にみる飛行機、親戚たち、そして自分専用のお食事が準備されるという光栄にもあずかりました。何より、花嫁からは後日わが子のことで話題が持ちきりだったとか、叔母様からは疑いなく準主賓だった、というようなお言葉を頂戴しました。なんてことはない、わが子は、会場を走り回り、制御不能となったのでした。それを追いかける黄色いワンピースの母親が事態を一層目立たせたことでしょう。。。


先週末は、初めて上野動物園へ。
ゾウ、トラ、ライオン、テナガザルをよく見てきました。動物にもそれなりに関心を示したものの、まあとにかく園内を走り回る。。。
保育園では、たらいに入ったザリガニをひどく怖がるそうですが、今回は分厚いガラス越しに、隣にいた子が恐怖で泣きだすなか、ライオンに対しても余裕の表情でしきりに手を振るわが子。おかしかったです。

最近急に、いやいやがひどくなり始めました。気に食わないと、ところかまわず、仰向けあるいはうつぶせで大の字に横たわり、両足をバタバタするように。両親との全面正面対決にも発展し始めました。恐るべしわが子。まだまともにしゃべれないけれど、歌を歌ったり、コミュニケーションもちょっとづつとれるようになってきています。昨日は駆け込みで日本民藝館に行ってきましたが、わが子は走り回ったものの、どうにか持ちこたえました。

これからのいやいや期をどのようにうまく対応するか。本当に大変だけれど、すこしづつお互いの意思の疎通ができ始めてきているので、ちょっと頼もしい課題でもあると、思っています。

今年は出遅れて、クリスマスらしいことはなにもしませんが(ポインセチアの小さな鉢があるのみ)、来年のクリスマスには、キリスト生誕の場面のミニチュアセットを手に入れて(数日前にe-bayで検索しまくりましたが今年は断念)、わが子に説明することを夢見ています。

みなさん心温まる素敵なクリスマスをお過ごしください!

2010年9月2日木曜日

帰省 その2- 1歳児、初めての鹿児島とツリーハウスへ


もうすぐ1歳3カ月になるので、その前に滑り込みでメモ。


戻ってきてから時間が過ぎてしまったが、鹿児島の実家に帰ってきた。

わが子にとって、初めての実家だ(おなかにいるときを除き)。

2年近く前の、そのおなかにいるときの帰省があまりに大変だったので、今回もやや警戒気味で(謎)、短めの滞在だったけれど、私の妹も合わせて帰省して、久しぶりに家族全員とわが子+相方という初めての6人家族の体験だった。


それにしても、私の方も、相方の方も、帰省するにはドアトゥードア(って表記するのか?)では片道に軽く5時間以上かかる。昨秋、四国旅行での初飛行機体験ではどうにか乗り切った感があったので、今回も、と思ったが、結果から言うと行きも帰りも、えらく大変だった。昨秋と比べてわが子が変わったのは、自己主張が激しく、それがかなわないとひどくワーキャー叫んだり、強力にえび反りしたりするようになったことだろう。とにかく狭い機内の中では本当に参った。ただ、行きに隣になったのが11歳で初めて一人で飛行機に乗っていとこのおうちに行くというとても利発な女の子で、その子にはほんとうに助けられた(でも彼女も本心のところ、結構参っていただろう・・・)。


ところで、わが子、実家では、連日車でいろいろなところに出かけた。家では、特におじいちゃんと私の妹に延々遊んでもらい、昼寝も忘れるほどだった。今回の帰省の道中に、わが子がものすごく成長することを勝手に期待していたのだけれど、実際にはそのようなことはなし。

帰って来てから明らかに変わったのは、確信犯のいたずらな行動、それを制された時のいやいや、そしてなぜかおっぱいが急増したことである。

そして私譲りの、お転婆、衝動的な行動、集中力の短さ、我の強さがめきめきと表れてきているような・・・何故そんなものばかり受け継ぐ・・・・

もう9月。はやすぎる。焦ってばかりいて、何も進まない最近。どうしたらいいものか・・・

写真は、昨年末にできたという県内のツリーハウスにて。初めて憧れのツリーハウスなる物を見たけれど、実際に登ってみると、自分が高所恐怖症であることを思い出してしまい、だめだった・・・。が、わが子は本気で登ろうとしていた。

それから、しょうぶ学園という社会福祉施設に行った時のもの。本当に魅力的な空間だった。スプリンクラーの放水を真剣に見つめるわが子と、シャツにものすごい刺し子が施された作品とともに。

2010年8月19日木曜日

帰省と手足口病

 
先々週末、相方の実家に帰った。殆ど前日に決めたようなもので、それも片道5時間ぐらいかかってしまうのに1泊というタイトなスケジュール。しかも、朝6時半の新幹線をとっていたのに、前日夜からわが子が発熱。当日朝3時に起床したものの(泣)、決行するか否かで最後まで迷った挙句に、熱はあるがいたって元気なので、3時間遅れで帰省を決行した。

・・・なんて書くと、どんなか、と言われそうだけれど、安い変更不可のチケットなんかをとると、旅行の前は、こちらがかなりの緊張状態に置かれる。で、そういうのを感じて発熱とかあるらしいけれど、真偽のほどは不明。

短い帰省だったけれど、ゆっくりさせてもらい、お墓参りに行ったり、近くの大きなアスレチックのある公園に行ったりして、楽しませてもらった。相方のお母さんは、さすが3人の息子を育て、4人の孫がいるだけあって、小さいことの遊び方がとてもうまく、最初は、警戒して若干離れて見ていたわが子も、数時間後には、後追いするまでになった。 素晴らしい。

素晴らしいといえば、周りが一面水田なので、あの、青々とした稲の美しさと、何よリこの時期のちょっと甘いような稲の香りにも包まれることができた。さすがに日中は暑かったが、夜間は窓を開け放して寝ると寒いぐらいだった。

行きも帰りも新幹線は思ったよりこまず、自由席には余裕がある感じだったのが良かったが、帰りのわが子の腕白ぶりには閉口した。何度か車両の通路を延々歩いてお散歩したが、それでも椅子に座っていることができないわが子は、最後には、床に座って遊んでいた(のを放置した)。

翌日、わが子の股のところにひどい湿疹が。それまでにもあったのだけれど、虫にやられたかぐらいに思っていた。また前日からよだれがひどいのも気になった。あわてて、病院に連れていくと「手足口病」という診断。。。

さらにその翌日は、私に久しぶりの原因不明の39度の熱が再び。その一日は、ぶつぶつとよだれがありながらも激しく元気なわが子と、熱で動けない母親二人だけで家で一日過ごさなければならないという、双方にとってかなり地獄チック(?)な日となった。

「0歳児で・・・病に罹られたお子さんがいます。」という保育園での張り紙。0歳児では我が子はいつも先発で、張り紙されるのはわが子のケースしかないような・・・

このあまりの猛暑と、保育士さんたちも認める元気いっぱいのわが子の「大変さ」で、母親の私の方が、なんとなく頭も体も動かなくなってしまっている。特に頭が止まってしまっていて、その状況は非常に深刻。わが子がいなかったときは、少なくても夜とかに結構長い時間ボーっとできてたよなあと思いだす。そういう時間がうまくとれずに、平日がそうなってしまうと罪悪感を感じたり、週末は「リフレッシュ!」と動いてくたびれたり、まだまだうまくやりきれていない。はあ。

今朝、わが子が初めて積み木を積んだ。その30分前に、積み木やおもちゃを投げ飛ばしたり、仕掛け絵本をことごとく破り取るというような状態に、相方から「デストロイヤー○○○」という名前を頂戴したばっかりだったのだが。

写真はアスレチックのある公園でおばあちゃんと。

2010年8月2日月曜日

高尾山 + もうすぐ1歳2ヶ月


今週後半にわが子は1歳2ヶ月になる。
相変わらず、(シチュエーションに応じた)はっきりした意味のある言葉 はでない。

にもかかわらず、一昨日あたりから、急にひどい金切り声で絶叫するようになった。
考えてみると、最近の人差し指を立てる「ほらみてみろよ!」ポーズと、この絶叫には共通点が・・・

それは、とにかく自分に関心を向けたいということらしい。

そういえば、最近私が台所に立つと、かつてなくものすごく不機嫌になる。とはいうものの、どんなに絶叫して、喚いても、かまってあげると大人しくなり、にこにこになる。ほんのちょっとだけしおらしくもなる。

もともと、わが子は自分の意思が大変はっきりしているが、最近はやりたいことも増え、それに伴って、相手への要求や、まだできないことも増えてくると、言語を通じてより細かい意思表示ができないということは、けっこうヤバイ気がする。というか、すでに絶叫しているし。。。


ところで、ここのところ相方も私も身体+精神的疲労がたまっているようだったのだが(だったので)、週末の朝6時半出発で、急遽高尾山に行くことになった(というか私が独断した)。私は一度だけ高尾山に登ったことがあったが、あまり記憶も定かではなく、どこまでいけるかわからないけれど、という雰囲気で、ベビーカーにわが子を乗っけて出発した。

結果としては、相方の(すぐ帰れるだろうという)期待を裏切り、ベビーカーで山頂まで踏破!

途中、急なお寺の石段が続いたり、石ころが埋められてぼこぼこの舗装道や木の根っこや段差が続く道もあったりしたが、行きにケーブルカーを利用しただけで、どうにか乗り切った。山頂での冷えたビールが格別だった。

結論としては、やはり10キロを軽く超える赤子連れの高尾山はきつかった。わが子が、道中のごくごく一部と山頂の広場で歩いたほかは、ほとんど眠っていたし・・・個人的には、10キロ以上の人間を担ぐのは、どのような装備でもつらいので、でこぼこ道に耐え、畳んで携帯も容易な、マウンテン ベビーキャリー バイク みたいな(なんだそれ?)ものがあればと思った。

高尾は通勤途中にあることもあり、2年ぐらい前までは本当に気に入っていて、 山の周りを散策したり、住みたいとすら思っていたのだけれど、トンネル工事が始まってから、痛々しい姿を目にしたくなくて、行かなくなっていた(高尾山口からの登山ではその光景は目にすることはない)。

久しぶりに行くと、ミシュラン3つ星とか、最近のトレイルランニングや山登り流行りの影響がすごく、若者やファッショナブル(死語?)な装具を持つ人が多くてちょっとびっくりした。

くたくたになったけれど、都内と比べれば、人工物が熱を排出しない分若干涼しく、綺麗な水分をたっぷり含んでいるような空気の良さは非常に有難かった。リフレッシュできた。 


この夏の間には、山中にあるビアガーデンに行く計画だ。

写真は、山頂の広場で、優しい人に構ってもらっているわが子と、登山道で出会った、立ち止まらずにはいられなかった大変おしゃれでイケメンなお地蔵さま。

2010年7月26日月曜日

ここのところのこと



はやいものでもう7月末。
来月初頭には早くもわが子は1歳2カ月。

先日、わが子は連続して2回もヘルパンギーナに罹ってしまった。わが家の自転車操業のあまりのバタバタぶりと最近の猛暑にすっかりばててしまった母親の私・・・

あんまり注意深く見てあげられていないけれど、ヘルパンギーナに2度も罹ったし、皮膚が弱くて、ガサガサで痒そうだったり、ひどく虫さされして赤い痕だらけになったり、本当にかわいそうなんだけれど、わが子は元気に育っている。有難い。

久しぶりに、忘れないうちの近況メモを。

・もしかして親の言っている言葉を真似している?!みたいな発音をたびたび聞くようになった。しかし真相は不明。

・「ばあ」といいながら、本やうちわから顔を出すのがブーム中。 これは大人顔負けにはっきりやる。

・何でもいやいや期に突入中だけれど、何でも絶対いやというわけではない。たとえば、ストローマグを差し出して「ちゃーちゃ(お茶)のんで」というと、2回までは必ず拒否するけれど、3回目はほぼ確実に飲んでくれる。そのことは昨日、相方にいわれて初めて知った。私は、1~2回拒否されたら、いつもそこであきらめていたので・・・

・いつもよじ登っていた椅子の上に立って、両手を持ってもらいながら床にジャンプするのがブーム中。昨日、20回はやっただろう。着地したとたんにまた椅子によじ登りにかかる。相方は、そのうち親の補助なしにジャンプするのではないかと心配中。

・人差し指を突き上げるポーズがブーム中。「これ何?」とか「これこれ」みたいな指さしポーズのほかに、ゴールを決めたサッカー選手のような「ほらみてみろよ!」的な指の立て方をする。

・保育園では水遊びが大好きだということで、水遊び+砂遊びのセットをドラッグストアで購入。本当は子ども用のおもちゃ柄杓だけ欲しかったのだけれど、なかなかみつからず、小さなセットを手に入れた。そして、公園の水道の前で、延々遊んだ。自分の頭より高いところにある蛇口からちょろちょろ出した水道の水を柄杓でばちゃばちゃするので、半身がびしょぬれになった。それでもご満悦の様子だった。

土曜日は仕事で朝から夜遅くまで外出したので、日曜こそは休んでリフレッシュの外出だ!と家を出たものの、暑さと疲労で、駅のホームまで行ったところで、電車に乗る決断ができずに、待合室でしばらくうだうだした後、近所のファーストフード、スーパー、本屋、ショッピングモールをめぐって、一日が過ぎてしまった。そういう 休日の過ごし方って内心軽蔑していたのだけれど、これが意外によく、体も休まった。

なんでだろうと考えて気付いたのは、家の中のように特に私に対してわが子が好き放題しないからということ。またわが子はわが子で色々な体験ができるから嬉しいらしい。お昼は非常にのんびり食べたのだが、そこでも両親のご飯をわけてもらいせっせと張り切って食べていたわが子。ここで初めて子供用のいすに座った。ものすごい食欲だった。

写真はその食事中誇らしげに「ほらみてみろよ!」ポーズをするわが子。

2010年7月12日月曜日

初美術館+初ピアノ+初ヘルパンギーナ

先日、1歳1ヶ月に。
最近わが子のえらい活動量に圧倒されていて、何がどう発達しているのか、成長しているのか、あまり分からなくなっていたけれど・・・

・急に、いやいやが激しくなった。持っているものをとりあげようもんなら、ひどいエビ反りで抗議するようになった。
・急に指さしをするようになった。しかし何を意図してるのか不明。一応指しているさきにある物の名前を言ってみる。逆に、こっちが何かの単語を言っても、正しいものを指さすわけではなく・・・
・高さ80センチぐらいのテーブルの上に、椅子伝いによじ登った。そして得意げ立った。
・だっこして!と両手を差し出すようになった。
・自分のご飯が終わった後、大人のご飯に当たり前のように参加し、肉だけ選び取って(盗み取って)食べたりするようになった。
・断乳など想像すら困難なほどのすごい執着がある。
そんなところ。

先週の保育園での身体測定の結果は、10.05キロ、78センチ。


ところで、先々週末は初めての体験が二つあったので簡単にメモ。
その一、美術館にはじめていく。都内の美術館、博物館、そして動物園等に使える、2ヶ月間有効のお得な「ぐるっとパス」なるものを入手し、国立西洋美術館と、博物館に行った。美術館では、初めての広い空間にかなり興奮。最初は静かにベビーカーに乗っていたが、ごそごそし始め、下ろすと、多少きゃーとかいいながら、館内を歩き回り、転んだり、その後はいはいしたり、椅子で休憩する人ににこにこでにじり寄ったりと嬉しそうだった。わが子は、思ったより困らせるような行動はとらなかったものの、やはり美術館では、ぎりぎりな感じであった。そういいつつ味をしめて、その後、世田谷美術館や、町田市立版画美術館にも行った。

このパスは基本的に常設展が対象なので、企画展は見られないことが多いのだけれど、まあそもそも落着いて見られないだろうし、真摯な美術愛好家ではないので、非現実的な広い空間と、芸術なるものに触れられるだけで満足なわれわれには格好のパスだ。
そして家では、電子ピアノを連打するように。
これまではたまーに私がピアノを弾くと、ちょっと関心があるぐらいの顔で見ていて、おもちゃのシロフォンの演奏の方が断然お気に入りのわが子だったが、いつの間にか、自ら電子ピアノに触って音を出すようになった。とはいえ音を楽しむというよりは、光っているボタンや、椅子によじ登ることの方により関心がある模様。それから、なんとなくアナログレコードのプレイヤーも引っ張り出してきて曲をかけてみた。レコードがまわっているときは、手で止めて、スクラッチもどきとか、カバーがかかっているときは、思い切りその上に乗って、踏み台にするとかしている。ハウス系で頭を上下にぶんぶん振ったりとのりがよい。

一応、彼女の芸術の夏到来という感じ・・・

そうこうしているうちに、わが子、先週はヘルパンギーナに罹った。そういえば最近保育園を休んでいなかったようなと思いだす。何かあるとセイフティーネットが脆弱な核家族のわが家は途端に崩れてしまう。高熱は1日だけ続いた。登園は3日目から再開。私と相方は一日づつ仕事を休んで、どうにか乗り切った。そして今、私の方がどうも力が出ない。なんとなくわが子のウイルスにじわじわと体がやられているっぽい雰囲気。ウイルスに勝たねば・・・

写真は、保育園をお休みしていたときに、機嫌が良かった時のわが子。

2010年6月26日土曜日

あせも事件+1年前


暑くなり始めてから、頭から猛烈な汗を流すようになったわが子。
汗をかくという感じではない。比喩ではなく大粒の汗を流すという感じ。
それも頭からだけ。汗腺が頭にしかないとか?!?!

その大汗のせいもあり、頭皮が赤くなり、痒くなってかいてもっと赤くなったりしていて、心配していた矢先・・・
先日の土曜の朝、わが子の顔の上半分にいきなり、赤い発疹がぱーっと出ていた。なんだかいつもと違う。当日、私は仕事で朝から外出だったため、相方に朝イチで皮膚科に行くようお願いした。しかし受付時間のちょっと前についたにもかかわらず、人気のその医院の前にはすでに30人ほどの長蛇の列ができて、引き返してきたという。

 夕方、我が子と近くの公園に行くとき、管理人のおばちゃんに、出掛けに「それは、あせも」と言われ、帰り掛けには、「やっぱりあせもじゃないよ、熱が出ないで、体の一部だけに出るはしかもある」と言われ、急に不安になった。ワールドカップの日本戦のさなか、電車に乗って初期救急にいく。しかしはっきりとした診断名はなく、はしかや風疹などである可能性は非常に低いと・・・

ともかくも、では皮膚の疾患だろうと言うことで、今度こそ、月曜の朝一番で、診察開始の45分も前に行って並び(それでも3番目だった・・・)、やっとのことで「あせも」の診断を受けてきた。あまりにひどいあせものため、我が子、写真にとられる。カメラを向けられて、とても上機嫌。もし写真が使われる時には、せっかくの笑顔も、目のところに黒い線が引かれて、わからないんだろうけれど・・・

昨日はマイケルの一周忌。子供の時を除き、特にファンではないけれど、あれからもう一年が過ぎたのかと、嘘のようだった。
写真はほぼ一年前の我が子。生後一ヶ月になるかならないかのころ。そういえばこのときも、乳児湿疹で苦労した記憶がある。雑誌の大きさと比較してその小ささに注目!(今は76センチ、10キロを越える・・・)

2010年6月13日日曜日

1歳

我が子、先週末に1歳を迎えた。いろいろ書こうと思っていたけれど、完成しないままにどんどん日が過ぎていくので、ひとまずご報告を。

0歳の後半期はびゅんびゅん過ぎていった。とにかくよく動く子。鼻水や咳はなかなか治らないけれど、元気なことだけは、本当に嬉しく思っている。

上の写真は、誕生日の日。我々からのお祝いの首飾りをつけて。
下の写真は、昨日砧公園で。

2010年5月31日月曜日

ここのところのこと


今週末でいよいよ1歳になるわが子。先日の検診では、身長75.5センチ、体重9.88キロだった。身長が10ヶ月検診のときより縮んでいる。(笑) 


最近再びせきと鼻水が気になる状態が続くようになっているが、とにかく元気に動き回っている。目が離せない。元気なことについては、嬉しい悲鳴と言いたいけれど、悲鳴も出ないほど両親はぐったり。しかし今後はこんなもんで納まらないことも十分予測される。ウウウウ(うめき声)。

ここのところの変化:

・ 急に歩くようになり、ちょっと目を離した隙に、勝手に移動している。今朝も、私がわが子の朝ごはんを準備しているわずかの隙に(といってもミルクを作ってパンの白いところをちぎるだけ)、相方の目の前にいたはずが、隣の通称「開かずのジャングルの間」と呼ばれる畳の部屋を通って、開けっ放していたベランダに下りていて、プランターの前で、しゃがんで佇んでいるのを発見。ちょっと前まで、連れて行ってもベランダに出るのさえ非常に慎重だったのに・・・ベランダはコンクリートなので転倒し頭でも強打したら・・・一瞬のことだった。

・ 後追いが激しく、タイミングによっては、私の姿が見えなくなると絶叫して泣いたりするように。昨晩は、私がお風呂に入っていると、お風呂のドアの前で心配そうに座っていたそうだ。その割に、勝手に自分で好きなところに行って遊んでいたりもする。本棚から落とした本の分布範囲が非常に拡大。。。

・ なんでもぽーんと放り投げるように。確かに今までも物を投げることはしていたが、最近の投げ方は違う。こちらの感情を逆なでするような「こんなもんいらんわ」的な投げ方。準備したパンや哺乳瓶をいきなり自分の後ろの方に向かってぽーんと放り投げたりする。

・ どこにでも登る。最近のお気に入りは、背もたれのないお尻とひざ下を支えるようになっている椅子(悪表現)に登ること。この前はその椅子の上に立って、テーブルのうえにまでのぼろうとした。週末初めて行った近所のファミレスでは、普通にソファー状の椅子からテーブルによじ登った。。。

・気に食わないと絶叫。かわいく泣いたりするのではなく、絶叫。例の椅子に座ってネットでもしようものなら、サイドにやってきて、絶叫。「そこは私の場所なのよ!!!どけ!!!」みたいな。どいたら嬉しそうにして自分が登る。

・ お父さんが外から帰ってきたときのリアクションが変わった。とても嬉しそうにする。過剰に歓待する。ちょっと前までは、たいした反応がなかったのに・・・最近お母さんが怖いせいか?!?!

写真は3週間ほど前のもの。2人で早朝に散歩に行ったとき。

2010年5月24日月曜日

早すぎた動物園と最近の成長


GWに続き、先週中盤からまさかの体調不良で、再び風邪っぽくなって、咳や下痢をするようになってしまったわが子。強烈に元気いっぱいで動き回っているが。 私が体調不良で仕事を休んだ日に、急に早退のお迎えを要請する電話が保育園からあり、翌日は相方が夕方まで仕事を休み、わが子を家でみて、私の帰宅とバトンタッチで出社。夜12時過ぎに帰宅し、翌日、日帰り出張に出かけて行った。夫婦2人で子供を持つと、ギリギリというか、3者3様に少しづつ限界をはみ出しがら、危機的状況を乗り切るような状態になる。はあ。

先々週末に吉祥寺にある動物園、井の頭自然文化園に母子2人だけで行ってきた。
2人だけで行ったのは、放っておけば、ほぼ100%ゴロゴロしている相方を引っ張って外出するのにうんざりしたためだ(なんていうと怒るだろうけど)。お駄賃をせびり、重たいカメラも持っていざ出発!

最初の難関は、下北沢駅。あそこにはホームと改札をつなぐエレベータ&エスカレータが一切ない。駅員さんに声をかけるのも面倒なので、自分でスリングにわが子を投入して、ベビーカーを持って、階段を上っていると、お歳を召された男性が助けてくれた。

どうにか動物園に到着。最初に行ったのはふれあい広場の触れるモルモットのところ。膝の上に乗っけてもらったモルモットのことを、わが子は見事に無視した。服を掴むついでにモルモットの脚もいっしょに握りつぶさんとしたり、お腹のところで圧死させるのではないかというように、あたかも膝の上に何もいないかのように振る舞った。

次に、ゾウの花子のことは、ただただポカーんと見つめ、その後の放し飼いのリス園では、走り回るリスを静かに目で追っていた。唯一、ニホンザルのサル山では、サルが走り回ったり、宙に張られた鎖を揺らしながら、見事に伝い走りするのをみて、キャッキャッと言って喜んだ。

もともと動物の種類の少ない園ではあるが、どちらかというと中心となる小動物には、わが子はまだあまり反応せず、設置されたベンチの周りを赤ちゃんせんべいを食べながらぐるぐると伝い歩きをしたことが一番の収穫だったように思う。行くのが大変な割には、わが子の反応は見られないという結果に終わった。また、そもそもわが子から離れて、カメラを向けること自体が非常に困難。カメラはとにかく取扱注意な上に、重たいという厄介なものでしかなかった。



話は変わって・・・最近のわが子の発達について。

先日、よく行く近所の中華屋さんに行った時、大人のいすに一応ベルトで簡単に固定して座らせてやり、小皿に食べられそうなものをとりわけてやったら、案外食べ物を落とさずに、黙々と手で食べ続けていた。今まで外で食べると、わが子がぐずったり、ぐずらせないためにお茶や赤ちゃんせんべいを与えたりとで、忙しすぎて、食べた気がしていなかったので、初めてそういうことがなく比較的落ち着いて大人の方もご飯が食べられたことに驚いた。この中華屋さんは、安い割にボリュームがあるので、肉体労働系の人たちでにぎわっているが、お客さんの出入りもしっかり目で追って、時には振り返ってチェックしているのが笑えた。

・ どこで覚えたのというような口の奥の方から舌をよく使うような、日本語らしからぬ多様な音を発する。これもなかなか笑える。擬似仏語、独語のようでもあり。先日はイスラム風で、擬似コーランのようであった。発音は多様なのだけれど、意味のあるような発語はおそらく全くない。

・ 急に、とたとたとたと、よく歩くようになった。20歩ぐらいは歩いたりする。

・ 稀にどたっという鈍い音をさせて落下するけれど、基本的にベッドへの上り下りは、安定して無難にこなすようになった。降りるとき、ベッドの端に頭から突進していくのでひやひやするけれど、絶妙な感じでくるっと向きを変えて脚から着地する。

・ 以前よりは、本棚から落とした本のページをめくるように。しかし読み聞かせには基本的に無反応。

・ 大人の食べているものへの興味がいっそう高くなっている。数日前まで好物だったほのかに甘いかぼちゃやサツマイモ団子を好まなくなってきた。納豆はまだ食べてくれている。

2010年5月11日火曜日

11ヶ月


連休最終日のこどもの日、我が子、11ヶ月になった。
はやい・・・来月の12ヶ月とはすなわち1年だなんて・・・

というような感慨に浸る間もないほど、GWはどっぷりと床に臥せっていた我が家の面々。
30日金曜日:保育園から元気に帰ってきてしばらくした夜19時ごろ、いきなり噴水のように吐き、下痢をする。発熱もあり、未明にかけて次第に高熱に。
1日土曜:朝一番で病院に。ロタではないかと言われる。午後から熱は引いてくる。小さなシリンジで医療用の飲料をこまめに飲ませる。
2日日曜: 下痢は続行。若干元気を取り戻す。
3日月曜:下痢続行。かなり元気に。夜から私が本格的にわが子と同じ症状が・・・
4日火曜:私が終日ダウン。
5日水曜:私が終日ダウン。
6日木曜: 相方にわが子を託して仕事に。わが子朝一で病院に。念のため保育園を休む。夜から相方があやしくなる。
7日金曜:わが子、回復後初登園。驚異の食欲。
8日土曜:わが子、驚異の食欲。動きも完全に回復。相方、完全にダウン。
9日日曜:わが子、続、驚異の食欲。相方完全にダウン。

ざっとこんな感じで、ゴールデンな1週間は過ぎ去った。

11ヶ月になったわが子は、いたずら盛りで、テーブルに登ったり、台を置いてやると、ベッドにも上ってくる。それから私の財布から、カード類を抜き取るのが日課。そういったことを何やら大きな声でいろんなことを言いながら(音を発しながら)、やっている。本人としてはしゃべっているのだろうが・・・

まだ本当に危ないことはできないので、せっかくいろいろな好奇心を持っているのだからと、結構何をやっても放置している。ベッドから落ちそうになっても、とりあえず、落ちるのを補助しつつ、落ちてもらっている。

ちなみに保育園の0歳児の部屋は2階にあり、1階に下りる時などは、後ろ向きで四つん這いで降りるやり方を教えてもらったりしているそうだ。先日、お迎えの帰りに、わが子にひとりで階段を降りてもらおうとしたが、案外躊躇して進まなかった。保育士さん曰く、わが子は(普段とてもよく動くのに)、階段を下りるときは結構慎重と。家に階段がないせいもあるけれど、落ちる恐怖や痛さは、家で体験済みのせいもあるかも。普段無謀極まりないわが子の「慎重さ」にはちょっと笑えた。


・・・それにしても、最近夜何度も起きて、寝ぼけたまま正座して、自分の膝をこぶしで叩いておっぱいを要求し、その後ベッド中をグルグルと仰向けにダイブしながら寝にいるわが子(この表現では、私本人しか状況がわからないと思うけれど)。職場に行かずに仕事する日に、ひとり家にいたりすると、疲労と放心で、何もできなくなってしまう。ものすごく焦っているのだけれど、どうにもできない。雨なんか降っていると、特に。うーん。

どうにもできないので、まずは気分転換と脳には糖と、週末に初めて行ったオーボンビュータンで買ってきたケーキでも食べるかと口にしたら、これが、そうそうないほどのものすごいお酒漬けのもので、鼓舞しようとした気持ちがまた一気に削がれた・・・

そうそう、快復後のわが子に負けないぐらいの食欲ですでに半分は戻ったが、 3日で3キロやせた。食べられない飲めないの状況なのに、快復期だったわが子は容赦なくおっぱいを要求。げっそりした。

2010年4月27日火曜日

ヤンキーの法則(仮説)


週末、久しぶりに小田原に行ってきた。
青く広がる海を見てビールを飲んだ。心がすっきりした。

わが子がデビューしたこと。
・小田原城の敷地内にある公園で、ミニ電車と、左右に揺れる汽車の形をした乗り物遊具に乗った。
・電車に乗る子供のよくある風景のごとく、靴を脱いで座席に立って(まだ小さいから)窓の外を見た。

以上。

うちからは片道70分。一本の電車に乗り続けるので、楽と言えば楽だが、だんだんいやいやなぐずりがはっきりしてきたわが子、行きはずっと寝てくれてスムーズだったが、帰りは途中から泣きわめいて大変だった。

ところで、昨日ふと思いついたことがある。

最近わが子は自転車での送り迎えの時、自転車の手すりのバーに、足を乗っける。やめなさいと言っておろしても、また乗っける。それから、例のM 字開脚の姿勢の時、何かと手にもの(マグとかおもちゃとか、せんべいとか・・・)を持っていることが多く、そうするとごく若干だが前のめりになったりする。そんな態度が、ヤンキーを想起させる。

ヤンキーってのは、赤ちゃんがえりなんじゃないだろうか。。。。

仮説を立証するための、いろんなことを述べるほどのことではないので、あくまで、思いつきだけれど。。。

2010年4月20日火曜日

とうとう・・・・


本日、わが子ポリオに行ってきた。会場前はベビーカーがずらーっと並んでいて、会場内も、いったいどこにこれだけの赤ちゃんが・・・と思うほどの赤ちゃんであふれていた。ちょっと大きな子達もいた。わが子、係りの人に(また)男の子に間違えられた。

昨日、在宅勤務で、お迎えが早かったので、目の前の砧公園に行った。昨日は、登園も私が担当したのだが、お迎えのときに一回り大きくなったように感じた。「あら~ちょっと見ないうちに大きくなったねえ」と言うと、保育士さんたちには笑われたけれど、嘘じゃないぞ。。。

公園では束の間だったが、裸足で一緒に遊んだ。わが子、草の上を10歩歩いた。私も裸足になったのは、わが子がはだしで歩く場所を確かめるためでもある。同じ理由で、最近食べ物をあげるのも、直接手づかみだ。わが子もそれを手でつかんで取るのだが、温度や硬さを確かめるために、手は最適。動物っぽい。本能なのだろうか?

運動能力は、高い方なのだと思うが、言語等、知的な発達にはその傾向なし。ただ人のやることをよく見ているので、わが子専用本棚を、彼女の手の届くところに設置したら、瞬く間に、本は本棚から落とされるだけのものと化してしまった。



ところで、わが子10ヶ月半にして、ようやく、かつて、毎月毎月出会っていたあの、あのお方が戻ってきた。このところ、吹き出物は出るし、体重は増えるし、体の調子もなんとなく変だなと思っていたので、もしかしてと思っていたところだった。

このままもしかして二度と再会できないかも・・・と思っていたので、ほっとしたというのが正直な心境。しかしながら、これまでになく、(というかすっかり忘れてしまっていたのでそう感じるのかもしれないが)、体が重く、不自由を感じる。何より、精神的に落ち込み気味で不安定な気がする。今まではそういうことは本当になかったから、これも産後のひとつの変化なのかと思いつつも、複雑。

写真は、わが子が去った直後の本棚の周辺の状況。去った後、現在は、トイレに直行し、一度も使ったことのないお丸をトイレから引きずり出すことに熱中している。 。。

2010年4月13日火曜日

とりあえずの10ヶ月メモ



わが子、先日10ヶ月になった。
・昨日始めて新しい園を微熱で休む。診察も兼ねて受けた9,10ヶ月検診では、9570g、76.5cm
背がとても大きい。10ヶ月の成長目安なんかをネットなんかで見ていると、体の発達が早いだけに、知的な発達が若干心配になった。10ヶ月って、「パパどこ?」とか言うと指さすんだって?!?!?! 

・我の強さ、横暴な振る舞いが一層顕著に。手でたたく、足でけるなど。最近はあたるとかなり痛い。
・自分の意思にそぐわず、人から何かされることを断固拒否する。顔をぷいっとそむけたり、手で押し返したりのしぐさが露骨。
・両手を挙げたり、手をたたいたりするしぐさをできるようになった。バイバイとされると、バイバイのしぐさをかすかに返すようになっている(ように思える)。
・もくもくとひとりあそびをすることがある(保育園での方がそういうことが多いようだ)。
・寝るときは、急に寝に入る。いつもうつぶせでお尻を高く上げた姿勢。
・赤ちゃんせんべいやパンを一口で大量に頬張る。また飲み込まないうちにどんどん口に入れる。そして唾液でてかてかに固まった大きな物体を口から出したり入れたりと、変なことをするようになった。せんべいを大事そうに一口一口丁寧に食べていた頃が懐かしい。


とりあえずはそんなところ。
・新しい保育園では、少しづつ慣れているようだ。しかしいまだにお迎え担当の私の顔を見るや否や泣く(それまで普通に保育士さんと遊んでいても)。
・先日、1歳児クラスの子たちと一緒になったら、急に生き生きしてその子達の方に向かっていったと保育士さんが言っていた。
・久しぶりに私が担当した保育園登園時、初めて泣かれた。前の園ではなかったけれど・・・

タイムマネージメントの課題。とりあえず、何時までは休憩、何時までにこれをするというように、ひとつひとつこまめに目標設定すると、案外「疲れててやる気でない、無理無理・・・」と思っていたことがすんなり短時間でできることに気付いた。あと5分で、ブログ作成は終了して仕事します(笑)。

写真は週末の砧公園

2010年3月30日火曜日

砧公園の桜




週末、家族3人で、自転車で、砧公園に行った。
わが子はあんまり調子も良くなかった(はずだった)ので、ちょっとだけだったけれど、芝生の上ではいはいを堪能し、さくらも見てきた。
週末の時点で桜はまだまだだったけれど、ところどころ咲いていてきれいだった。
図らずもわが子の服のコーディネートは完璧だったけれど、全部フリマ。
前から見ると無事生還!みたいなりりしい宇宙飛行士然としているが、うしからみるとよろよろネズミ男のような風貌で笑える。

とうとう明日は3月最後。わが子今の保育園とお別れ。
4月からは、新学期。私もわが子も本格始動。
家での仕事時間をもっと大切に使わないといけないのに、なかなか切り替えが大変。
切り替えのおまじないとか欲しい。
タイムマネージメントの重要性、(というか困難を)実感中。
世の母親はすごい・・・

2010年3月23日火曜日

ここのところのこと


あっという間に3月下旬。。。。
わが子も私もずっと風邪気味だけれど、何となく元気。2人ともいつ重症化するか?!とひやひやしつつも、結構そのままいけてたりする。

最近の新しいことといえば、
・子ども乗せ自転車を買った。ヘルメットも買った。イオンのネットショップで、旧年モデルの丸石自転車のフラッカーズとミシュランのバタフライ柄のヘルメット。
・その自転車にわが子を乗せて4月からの新しい保育園の目の前にある大きな公園に行った。余裕なそぶりを見せつつも結構固まっていたわが子。

・一昨日ぐらいから結構な勢いで何かをしゃべっている(以前のあんままんま、みたいなものと比べると随分進化している気が・・・)。

・「おはよう」といったように聞こえた。相方はそれはほぼ間違いだろうと言っている。

・夜中の授乳が1回とかになっているのはいいが、激しく動く。ほぼ毎晩、寝ぼけて起き上がって仰向けに布団の上にダイブしたまま、なにもかけずに寝ていたりする。

・ 離乳食をわが子用に作るようになった。といっても、納豆、豆腐、かぼちゃか人参の茹でたのばっかりのローテーション(て言うかローテーションじゃなくて、毎日それ・・・)。秋の砥部焼祭りに行った時の、相方がたくさん買い込んでいたお醤油を入れるような小皿が活躍している。
・ストローマグで飲み物が飲めるようになった。お茶をとてもよく飲む。

・週末に待望の本場手作り餃子を頂きに、知人の中国出身のご家族のところへお邪魔。5歳の息子君の利発なことに驚いた。そしてお父さんの皮づくりの職人のような手際の良さも!!!とても美味しく、楽しかった。 わが子も、水餃子をパクパク頂いた。

一昨日ぐらいから、なぜかくるりの赤い電車とか、ばらの花とかをyoutubeでききまくって、止まらなくなっている。なんだか春になって、どこか遠くに行きたい気分なんだなあ。そういえば、最近の週末は、じっとしていることが多かったしな。

桜の時期なんかには、久しぶりにウメ子のいなくなった小田原なんかにも行きたい。大きくなったわが子に再び海を見せたい。(そして格安干物(ひもの)を買って帰る・・・・)。

4月が目前。

2010年3月8日月曜日

9ヶ月

我が子、先日無事9ヶ月を迎えた。
桃の節句は何もできなかったので、ちらし寿司を作ってささやかにお祝いする。
とはいってもうちには雛人形もないし、ハマグリのお吸い物もないし、相方が気を利かせて(たつもりで)買ってきた花は、桃ではなくフリージアとカスミソウだったのだが。

そしてなにより、その当日も、八百屋さんの威勢のいいおじさんに、「おっ、ぼっちゃん!!!」と言われたばかりだった。。個人的にも実際、雛祭りのコンセプトが今一つ分からないので、たとえ女の子であろうとも、健全成長、家庭円満って感じのこいのぼりの方で端午の節句を祝いたい派だ(なんてそんな派閥はないけども。。。)。

1週間ほど前に受けた健康診断では9キロ(オムツのみ着用)、72センチ。ここ2,3ヶ月はメキメキとサイズがおおきくなっていくということはないものの、とにかく大きい、重たいと感じる。

最近はとにかく驚くほどよく動く。動きが俊敏。柔道とかレスリングの選手のような、身の翻し方をする。あとМ字開脚(古い?)の姿勢を保ちつつ、おもちゃで遊んだりせんべいを食べたり。しかもその姿勢からすくっと立ってみたりを繰り返す(あんまり筋肉つけすぎない方が。。。。)。

行動範囲も広がり、放っておくと、台所のほうまで進出してきて、ごみ袋に入った空き缶を大きな音を立てながら床に撒き散らしたり、戸棚の下においてあるおわんを落としてみたり。先日は、洗う前に床に置いてあった大きなお鍋の中に手を突っ込み、入っていた水をぴちゃぴちゃやっていて驚いた。また、干物(かんぶつ)を入れていたカゴを床に置いたままにしていたら、いつの間にかお茶づけの袋をなめ続けているし・・・(唐辛子の袋でなくてよかったね)。危険そうな場所も大好きで、PCのテーブルの下でPC用のスピーカをひっぱって倒してみたり、固定していない大きなキーボードにつかまったりする。

離乳食というと、親の食べているご飯から食べられそうなものをあげるという手抜きなご飯を食べている。昨晩はお好み焼きだったので、適当にあげていたら、ご飯終了直後から、もだえるようなひどい泣き方をして30分近く止まらなかった。何か悪いものを食べたか?!?!?!と救急診療所に電話し、対応をきき、結局歩いて10分強の救急に行くことにした。出発後5分ぐらいして道中で完全に寝た。熱やその他の特別な症状もないため、ひとまず引き返す。その後、何回か起きたものの、朝、いつもと同じようににこにこで起きてきた。一安心。

週末は、職場の行事と保育園の敷き・掛けシーツ&「あずま袋」作りに追われた。元気なわが子とは対照的に、母親の私が風邪気味。早く治さねば。。。

わが子は最大の精神的活力の源であり、かつ最大の肉体的活力の消耗源。ふう。

2010年3月2日火曜日

「保活」- 0歳児の入園




ここのところのメモとして、最近急に活発になってきたわが子の行動を記しておこうと思ったけれど、この5日間は突然激動の日々となった。

25日 午前 相方からのメールを職場で受け取る。認可保育園の2次選考で第3希望の保育園から内定通知があったとのメール。相方に連絡を取り、私が保育園に連絡。その結果、午後に、児童票という面接に必要な書類を園にもらいに行き、翌日に面接と健康診断を受けることが決定。
面接等を急いだのは、実はこの第3希望の園は外観こそ何度か見に行ったり、外から子どもたちが園庭で遊ぶ様子を見たことはあったもののなんとなく少し暗い印象があり、ほとんどノーマークだったから。
午後  わが子を預けていた認証園に迎えに行き、わが子も連れて書類を受け取りに行く。そのときに施設内を簡単に案内してもらう。ちょうど午睡の時間だったらしく、子どもの動きを見ることはできなかった。

26日 午後  面接と健康診断を受ける。面接は、看護士、栄養士、一般保育士、園長によるもので、医師による簡単な健康診断も合わせて、たっぷり2時間かかった。面接終了時点で、やっぱりここに行きたいと思う。しかし、相方とも話がした方がよいので、現在通っている認証園への退園は即決はせず。
相方はどちらかといえば現状維持派。ただ保育の内容やこれまでの経緯を熟知しているわけではない。私はどちらかといえば転園派。しかし、この現状維持の認証園か、それとも転園して区立認可園かの選択は、最終的にはただ決断するのみという状況になり、深く悩み始める。というのも、リストアップしてみると両者にあまりに多くの一長一短があり、またそれらがすべて対照的だし、また一番重要などんな保育をわが子が受けることができるのかという点では、やはり入ってみないとわからないことだから。

その後、まるまる二日半悩んだ。
そして、認証園の退園は1ヶ月前までというリミットを越えてしまう。夜12時を過ぎて日付が変わってから、若干の夫婦喧嘩。。。

1日 午前 区役所に電話して、我が家の入園順位や全体の状況を教えてもらう。第1希望の園はそもそも1次選考のあと空きなし。第2希望園は超人気園だったが、二次選考ではふたつの空きが出て、なんとわれわれの前の順位のご家庭まで内定したそう。とても意外だった。このあと、内定をもらった区立認可園に電話して、午後に再度、子どもたちの保育の様子を見学させてもらうことにする。

午後  わが子を認証園にお迎えに行き、一緒に見学に行く。20分近く実際に0歳児の保育の場にいさせてもらう。わが子、勝手を知らない場に来て、やはりかなりおすまし。しかし気が付くと、床においてあるぬいぐるみやおもちゃを掴んで舐めていたり、保育士さんの方を向いて、「見て見て!」といわんばかりに床で立ったりしている・・・

保育の場にしばらくいさせてもらって、やはりここだと思った。
帰宅後、認証園に退園の旨連絡。退園の月に入ってしまったため、4月の保育料も掛かることに。我が家は100グラム100円以上のお肉は買わない家庭なのに(苦笑)、来月は11万円に近い保育料。しかも、わが子が1歳になるまでの約2ヶ月間は延長保育ができないので、この問題も残されたままだ。

保育園入園までの活動を、「保活」というらしい。この「保活」には、妊娠中から、右も左もわからずに、本当に無駄な労力とお金を使ったと思う。そして気が付けばいつの間にか相当物知りになっていた。失った分、「保活」コンサルでも旗揚げして(得意分野はS区の0歳児)、取り返すか?!?!(悪い冗談)

それにしても、ほとんどパロディーのような「保活」事情。やってられない。。。

2010年2月18日木曜日

突発性発疹


昨日は、いきなりひどい頭痛に見舞われ、夕方からわが子を巻き添えにして寝込んだ。2日連続で早朝出勤をしたり、そのうえでPCの画面を長時間凝視したり、わが子の看病疲れがあったりしたことが原因か・・・


先月、我々(老)夫婦2人とわが子の3人世帯を機能不全に陥らせた、わが子のRSウイルス感染による入院(を発端とした)体調不良の連鎖。2月に入り、比較的平穏な日々が続いた。何かおかしいかもしれない、何か来るかもしれないとは思いつつも・・・

先週後半にそれはやっぱり来た。

1日目
早めのお風呂に入ったあと、どうもわが子の体が熱い。熱を測ると37度台後半。お風呂のせいかもと思いつつ、経過をみる。

2日目
お風呂から数時間たった未明、熱を測ると38度台に。温かいお布団のせいかもと思いつつ、幾分呼吸が荒い。そうではなさそうだという気配が強まる。

朝、私は早朝に家を出て、あとを相方に託す。昼前に電話すると、わが子は元気だけれどやはり熱があり、相方は午前中仕事を休んでいるとのこと。午後、私は帰宅して相方とバトンタッチ。わが子、夜まで38~39度台の発熱が続き、あまり調子がよさそうにも見えなかった。

夕刻、かかりつけの小児科へ。
風邪の症状がないので、発熱のみを症状とする風邪か、突発性発疹の可能性があるといわれる。

夜、熱が40度台にも達する。さすがに、発熱が続いており、わが子も苦しそうになってきた。眠たいのか朦朧としているのかわからない雰囲気。最近はすっかりわが子の高熱にも慣れてしまった私。その他の気になる症状もないので、解熱剤は用いず様子を見る。

3日目
未明から若干熱が下がり始めた。
朝、37度台にまで落ちる。それと同時に、いきなり元気になりバタバタし始めたわが子。その後熱は完全に引いた。夕方、おむつを替えたときに、お腹一面に発疹があるのに気付く。機嫌は良くない。

4日目
元気。平熱。しかしすごい発疹。そして機嫌が悪い。休園する。突発性発疹に間違いなしと思いつつ、夕方小児科を受診。明日の保育園登園の可否を訪ねて、大丈夫とのことで、安心して帰宅。


感想:本で読んだことはあったけれど、まだかかったことのなかった突発性発疹。今回、本当に拍子抜けするほど本で読んだ通りの典型的な経過をたどって行った。ただ発疹は最後に出るので、高熱の時には診断はつかず、油断はできない。

ひえぴたは、動く子にはとれやすい。個人的には、頭全体を覆うキャベツの葉が気にいった。しかし、キャベツは結構固いので、次回は、白菜の葉っぱでも挟んで、キャベツを被せたい。芯のある方を前にして、キャベツを被ったわが子は、ちょっとギリシャの兵士のような雰囲気だった・・・写真を撮りたかったけれど、その時にはそれどころではなかった。。。

ところで最近のわが子といえば・・・
・とにかくよく動く。本当に「だるまさんが転んだ」のゲームみたいに、一瞬目を離したその次の瞬間には姿勢や、場所が変わっていて恐ろしい。
・目を覚ました時に、必ず泣いていたのに、泣かないで勝手に布団の中で正座していたり、移動していたりするようになった。これも恐ろしい。(ベッドには柵がないので)。
・ここ数日で、手を離して立った姿勢から尻もちをつかずにしゃがむことが(時々)できるようになった。
・立つときに何かを持ちたがる。この前はおもちゃの鉄琴を持とうとしていた。いくらなんでも重すぎる・・・
・最近はほぼ100%、相方が朝、保育園に連れていく。それもあってか、相方との関係が以前より親密になったようだ(相方の方が優しいしね)。保育園でも離乳食を始めてもらえるようで、ミルクもよく飲んでいるので、パイパイの影響力が小さくなることが懸念される(大丈夫か私・・・今までは母は絶対だったのに)。
・保育園でとても楽しんでいるようだ。人の遊んでいるおもちゃに突進して行ったり、つかまり立ちする時には、ものより人を好んだりしているそうだ。

画像は2週間ほど前のわが子。授乳直後。

2010年2月7日日曜日

注射・最近の動作・一次選考


注射
先日、仕事を休んで出産した病院まで、ヒブワクチンの接種に行った。在住する区内の病院で問い合わせたら、子どもが多いせいか、半年近くの待ち期間があると言われたので、千代田区内のその病院で接種することに。昨年12月の後半に面談を受けて、最短コースのよく1月の第2週には接種できたのだけれど、先月はとにかくわが子の入院、私の体調不良等が重なった。延期に延期を重ねて、晴れてようやく接種となる。

同じく1月半ばに予定していたDPTの3回目も流れたままだったのだが、先生の御高配で、HibとDPTをそれぞれ片腕に接種し、一度にすませることができた。大泣きしたけれど一瞬で終了。Hibは10500円なり。高いよなあ。加えて、これから4週以降にもう一度接種の必要がある。

実は先日、わが子が何かを口に入れているので、見たら、私のスポンジ状の耳栓で、ぎょっとして殆ど気分が悪くなりかけた。髄膜炎で後遺症が残る確率より、散らかり放題のうちでは、誤飲による事故の方が、確率としては1万倍ぐらい高いかも・・・

最近の動作
・最近、両手を離して立っては尻持ちをつくということを繰り返している。手が離れたときには、ハイテンション。
・はいはいはうまくできなかったけれど、昨日初めて、一メートルぐらい一気にすたすたと行くのを目撃。
・おもちゃよりはとにかく同世代の子が好きならしい。関わりたがる。
・仰向けで寝た姿勢の時、手を差し伸べると、手を出してつかまれるようになった。
・ぶぶぶぶぶと言う。
・発する音がかなり多様になってきた。
・ご飯はまだそんなに積極的に食べない。赤ちゃんせんべいフリーク。
・うつぶせで倒れ込んだままの姿勢で寝る(鼻がつぶれ、手足も異様な格好に)。

一次選考
あっけなく落ちる・・・ 予測はついていたものの、夫婦2人がフルタイムですでに復帰していても落ちる。なんじゃこりゃ。

妊娠中から、保育のことはとにかく不安や心配の種で、それなりに動いてきた。どうしても保育のポスト確保に躍起になってしまうけれど、やっぱり一番大事なのは、本人がどうかということと、あとは成長に理想的な環境かどうかということだと思う。

2010年2月1日月曜日

復帰・・・


ご無沙汰しておりました。

1月から職場復帰だった私。
わが子の退院後、今度は自分がそのウイルスから風邪をこじらせ、40度の熱が出て週末の夜に救急に行ったり、中耳炎になったりで、 大変だった。

退院後、わが子は久々に復帰した保育園で早速下痢のウイルスをもらって、今度は相方がそれをもらい・・・
一家3人の体調不良は無限ループ状態。

そんな中、この週末、一日だけ全員の体調がいい時があり、わが子の為に身代り干支という、可愛い小さな土鈴を手に入れに根津神社に行った。

根津では、根津神社に行き、和菓子屋さんで和菓子と薄茶を頂き、そのあとイタリア料理屋兼バールでエスプレッソをくいっと飲んで、さっさと帰ってきた。最近、自分の中では和菓子ブーム。そんなに嗜まないけれど、脂質がなくシンプルな素材と甘み、それから造形の美しさやそこに込められた季節感や、多幸や豊穣への思いが豊な気持ちにさせてくれる。。。とか言いつつ梅の形の練りきりよりもシンプルなよもぎ大福が美味しくてお代わりした。

わが子は最近つかまり立ちの練習ばかりしている。激しい尻もちを繰り返し、時にはおでこや後頭部を強打しながらも、不屈の精神で、つかまり立ち。そして片手、それから両手を離して、尻もち。これも無限ループ。

赤ちゃんせんべい?をひとりで一枚持って丁寧に完食できるようになった。
ミルクも1回100ml以上飲むようになった。離乳食は、いつの間にか大人の食べているもののおすそ分けになってしまっている。


ここ数日で摂取カロリーが倍増している。。。

相変わらず夜中何度も起きる。起きて、自分で布団の中で座って、おっぱいを探し当てられるようになった。

このブログ、このままだと月更新になるのか?!

2010年1月15日金曜日

RSウイルス



今年初めての更新からしばらくして、その後の様子をのんびりと下書きに綴っていた矢先・・・

わが子の高熱が40度に達し、二日ほどそれが完全に続き、しかもひどい咳をするようになった。
かかりつけには何度か通ったし、午前2時に救急にも行ったが、いつも言われるけれど高熱のわりには「機嫌がよさそう」とのことで、様子を見ようということで・・・
しかし生まれて初めてわが子の機嫌が悪くなり、ぐったりとなってしまい、2度目の救急でそのまま入院となった。


原因はRSウイルス。

手の甲に点滴用の針、手足から検査用の採血、両頬にテープで固定され、鼻には酸素用チューブ、脚には血中酸素と心拍を管理するためのセンサー、細いチューブをあり得ないぐらい長く鼻から突っ込んで鼻水や痰の吸引(正真正銘の拷問・・・)、シリンジでの投薬や、鼻や口から吸引する蒸気状の薬とか・・・

いやもう、わが子があまりにかわいそうで、申し訳ないという大きくて、深く悲しい感情が色々と交錯する数日間だった。

入院前にかなりのプロセスを終えてしまっていたこともあり、入院二日目の日付が変わるころからは早くも熱が下がっていった。それで、最低1週間と言われていた入院期間は結局3泊4日で終了。
入院期間中には、寝た姿勢からお座りするという技も初成功し、鍛錬の末、完全習得。

写真は退院前日で、鼻の酸素チューブもとれてにこにこだけれど、いや本当につらかった。

2010年1月3日日曜日

あけましておめでとうございます





この年末年始は、相方の実家に滞在した。
兵庫県の内陸部の方にあるのだけれど、行きは京都で1泊、それから姫路の相方の弟さんのところで1泊して、やっと到着した。途中、京都と神戸では友人たちにも会えて、大変楽しかった。
今回、往復には新幹線を利用したが、2時間半の行程、特に問題なく過ごせた。しかし予定より早い時間の自由席に乗ろうかと試みたが、恐ろしく長い列に怯み断念。また自由席の通路がふさがっている状況では、ぐずった時に支障が大きいとみた。指定席を取っておくことはやはり重要だと再確認。

相方の実家では、相方の兄弟の小さな子供さんたちとも過ごせた。

私は明日から仕事。4月まではある程度の時間的な猶予はあるが、これからは週一ぐらいで更新できるのかしら。

今年もよろしくお願いします。
画像は相方の実家でお正月の昼下がりに。

2009年12月26日土曜日

誕生日


今日は12月25日。クリスマス。
欧米圏やクリスチャンの人たちにとっては家族や親族と過ごす特別な日だと思う。

わが家といえば、相方の誕生日がたまたまその2日前の天皇誕生日なために、この日にすべてまとめて本当にささやかなお祝いをした(とはいっても天皇誕生日を祝えていたかは不明・・・)。

当日は、来客は私の妹1人だけだったけれど、相方本人が料理を準備しホストになるという(ここだけヨーロッパ)方式で(笑)、本人はてんてこ舞い。本人の強い希望で、初めてチキンを丸ごと焼いた。それと土鍋でカレーピラフと抹茶ロールケーキ(すごいとりあわせ。これは日本式クリスマス)。土鍋から煙が噴き出したり、チキンが少しだけ生焼けだったりしたけれど、初めてにしては健闘した相方。

誕生日としては、相方にとって新たにひとつ増えた歳の話はタブーらしいが、クリスマスとしては、初めてわが子を交えて祝う年となり、新鮮な思いだった。

探してみるとわが家にはクリスマス関連の絵本が3冊あった。聞いちゃあいないわが子に読み聞かせる名目で、クリスマスについてちょっとおさらいした。そこで感じたこと。

*身重のマリアたちの旅、ナザレからベツレヘムまでってどれぐらいの距離なんだろう(実際百数十キロらしい)。
*冬の夜に夫と二人だけで厩での出産、たいへんだっただろうな。
*ヘロデの王の、2歳以下の子供をすべて殺すようという命令、なんと恐ろしいことか。

初めて母親になってみて、クリスマスもまた、これまでとは違う気持ちで過ごした。
とはいっても何事もない普段同様の一日だったが。

・わが子、DPT2回目を接種。泣く間もなく終了。
・鼻水は相変わらず止まらず。
・咳は、加湿器を購入して夜間に使うようになり、軽減したと思う。
・母親の姿が見えなくなると狂ったように泣くことが出てきた。
・保育園のお迎えに行った時、床のカーペットの上でお座りしてほかの子たちと一緒におもちゃ遊びをしている光景を目撃。ちょっと前までそんなことできなかったのに。
・25日の夜、生まれて初めて一度も起きず朝になった。

さて寝るぞという一日の最後に、左のコンタクトレンズを洗面台で紛失し、どうしても見つけられなかった。普段なら徹底して探すけれど、わが子が絶叫し続けるなかで、あまりの極限状態に断念・・・





2009年12月21日月曜日

暴走するわが子

送信者 2009_1218fuji

先日、久しぶりに動画をアップしようとしたらできなくなっていて、どうやら直接の動画アップのサービスは以前から終了することが予告されていたらしい。それで、なんとなく不安を感じながらも前回、youtubeデビューし、今日はもうひとつの簡単な方法とされるpicasaのウェブアルバムを使ってみた。この写真はクリックすると、動画が見られる。うーん。。。
youtubeのほうがわかりやすいかも。

このところわが子はずっと鼻水がひどく、数日前からは時折結構苦しそうにせき込むことも出てきた。しばらく保育園を休んでいたが、昨日晩には38度台の熱が。しかし発熱も数回目の今回ともなると、不安は不安だけれど、「一晩様子を見よう」ということを当然のごとく受け入れられる。そして、数時間後には発熱はおさまった。

わが子、ひどい鼻水に熱があってもとにかく元気で、自分に100%の関心が向けられていないとワーキャーと駄々を捏ねる。強烈な脚キックで地団太を踏む。私も風邪気味に加え、金曜日に頭痛で一日寝込み、やっと快復してきたのに、昼夜を問わないワーキャー攻撃に辟易する。こちらも怒って、「いい加減にしなさい!!!」と怒鳴ると、にやーと笑ったり、そっぽを向いて「私知らないわ」という顔をする。

「なめんなよ、わが子!!!!!」

せっかく無限ループの体調不良から解放されつつあるかなと思っていたのに、また元に戻っちゃうよ。すごい抜け毛が止まらないなか、ただでさえもとから薄毛の私の髪を力いっぱい引っ張って引き抜くし。

「ざけんなよ、わが子!!!!!」

そういえば、ロングセラーの『いやだいやだ』の絵本に、ルルちゃんがなんでもいやだいやだっていうと、「それならおかあさんもいやだっていうわ」「いくらよんでもだっこしない」というフレーズがあり、まあ随分とひどいお母さんね、とおもってたけれど、今ではうん、よくよくわかりますその気持ち。。。


数日前から、四つん這いになり上体を左右に大きく揺らすようになった。しかしお腹を浮かすことがなかなかできず、前進もない。
上顎の右前歯がうっすら白い頭を出し始めた。

動画は、紙に執着するわが子、その2。

2009年12月14日月曜日

ここのところのこと

ヒブ
先日、ヒブワクチンの説明を聞きに、出産した病院の小児科に行った。千代田区にあるので行くのに一苦労。特にJRのお茶ノ水駅は、近隣に大学病院だらけなのにもかかわらず、エレベーターやエスカレーターが一切ない。
ヒブワクチンは一度は、待ち時間、コスト、後遺症の確率を考えて断念したけれど、やっぱり接種することに。以前、検討中だった時、比較的近所の総合病院では、待ちが2カ月程度と言われて、安心していたが、先日再度問い合わせるといつの間にか、来年の4月ごろと言われた。さすが保育激戦区、恐るべし。子どもが多い。


10時間睡眠
最近、わが子と一緒に寝てしまう。わが子は相方にお風呂に入れてもらうため、赤子にしては遅めの時間に入浴し、その後就寝。私も寝る直前に入浴派。いつも、(なぜか)私が一番風呂で、その次相方が入り、準備万端にして、お呼びがかかると、私が我が子を風呂場に運び、再びお呼びがかかると、受け取りに行くという手順。でパジャマを着せると、そのまま二人でベッドで寝てしまう。ふと気がつくと、最近就寝時間は22時台だったりすることが多い。くわえて、冬になり、朝の日の出の時間も遅いため、毎日単純に計算すると10時間近い睡眠をとっていることになる。


しかし・・・
最近、12時から3時すぎまでに魔の時間帯がある。1~2時間おきに大泣きするのだ。いわゆる夜泣きなのかよくわからないが、目をつぶって泣き続ける。試行錯誤の結果、対応策はおっぱいに落ち着いてしまった。 泣き声で起きて、まだ12時台だと絶望的な気分になる。その次は1時半、何故?!という気分になる。そして3時、ため息が出る。いつの間にか、標準よりもかなり大きめサイズに成長したわが子。座って抱きかかえていてもかなり重たいし、脚がつっかえる。普段はそれでも朝方にはまとめて寝てくれるのだが、今日はさらに6時にも泣かれた。あまりに頻繁で、私の方がすぐに寝付けないこともでてきた。うえーん。こっちが泣きたいよ。

ご飯3杯、食後に食パン2枚
最近、異常な食欲だ。相方はかなりの大食漢で、あれば食べてしまうという動物的本能の持ち主。料理のレシピの4人分は、我が家ではほとんど2人分にしかなってないということに最近気づいた。
しかし最近は私の方にその相方も霞む異常な食欲が出ている。パスタやカレーも男子学生の大盛り!!見たいなふざけた量をぺろり。先日は、普通のおかずを食べる前に、衝動的にご飯3杯と納豆3パックを一気に平らげた。また一昨日は、その大盛りパスタを食べた後、さらにジャムとバターつきの食パン2枚を平らげた。驚くのは、こうした食欲に加えて、これだけ食べても全く太らないことである。それどころか、「やせた?」といわれたりしている。そういえばここ2週間ほど離乳食が中断したままだ。もうそろそろ、我が子の栄養が私を介してのみ摂取されるのは、合理的ではない模様・・・


ビニール袋と新聞紙
保育士さんにも言われたが、最近お座りの姿勢で、おもちゃなどをつかんで自分で遊べるようになってきた。 園で、そんなことをできるようになるなんてとちょっとした感慨に浸る(笑)。わが家でも相変わらず、母親が視界から消えたり、自分に関心が向けられていないと、絶叫したりするものの、「あれ、泣かないの?」と思ってわが子を見るとひとりで遊んでいることも増えた(と言っても束の間の時間ではあるが)。
そんなわが子、フリーマーケット戦利品のなかなか悪くないおもちゃを大量に所有している。お古だけれど色どりの美しい外国製の木製玩具等々。しかし最近のお気に入りと言えば、ビニール袋と新聞紙なのだ。スーパーの袋の触るとカシャカシャという音、そして新聞のカサカサという音(?ではない気もするけれど、どんな擬音語なんだろう・・・)と口に入れると次第に変化する触感がいいらしい(まさかインクの味ではないと思うのだが・・・)。一応、取り上げるものの、せっかく楽しそうにしているので残念に思う。
いくらなめても安心なビニール袋と紙が欲しいと思う。

写真はお手製の帽子とスタイを(無理やり)着けられたわが子
昭和の東北地方の健康優良児のよう。。。

2009年12月10日木曜日

6ヶ月―ここのところのこと

週末にわが子6ヶ月を迎えた。71センチ、8.5キロ

6ヶ月記念にと、百均ショップに設置されたプリクラに行ったわが家(わたしの発案だが)・・・・
プリクラ、別人に写る。10歳ぐらい若く、目はピカーン、ぱちーん、お肌すべすべ、いつの間にかすごい茶髪。面白い。

この半年。短いけれど、毎日授乳・おむつ替え・あやしの無限ループという一見単調な日々を送っていたけれど、激動の日々でもあり。
特にここのところの表情や動作の成長っぷりはこれまでになく著しい。
 座ったままの姿勢を長く維持し、その間手を上に伸ばしたりしながらおもちゃを取れるようになった。またちょっと目を離したすきに、二つ折りにした敷布団からはみ出てあらぬ態勢になっている。思い返せば、最初は座布団に寝かされていたんだよなあ。

内と外がより明確に。外では、大人しく、またにこやかに対応。家では、ちょっと近くを離れると絶叫したり、父親の髪をつかんで、顔にけりを入れたりしている。誰に、甘えていいのかを熟知している。ちなみにわが子から最も横暴が許されているとみなされているのは、お父さん。

先週、おまるで初シーシーに成功した。成功というのは、わが子がそうできたというよりは、我々がわが子をおまるに乗せたときが、わが子のおしっこのタイミングと偶然一致したということのよう。その後、進展なし。

週末に九州から母が来た。孫を堪能して帰って行った。

某巨大ネット販売会社から q-tip のkamaal the abstract を購入。特にいつもフォローしている人ではないけれど、この9月にアルバムが出ていることを知り、試聴して、感激。これは買わねばと即決。輸入版だと日本版より1000円も安く、しかも送料無料。加えて、当日到着という特急便の特典もお試し期間中。朝注文して本当に18時ごろ来た。CD屋さん、太刀打ちできないよなあと思う。

わが子、母ちゃんが時にナポリ民謡で、時にQ-tipで(今回のアルバムは実験的なので踊りにくい)、空の哺乳瓶に鈴を入れたものを振りつつ踊るのを見て、喜んでいるのだが、どう育っていくのだろう・・・ とりあえず、できるだけBBCのラジオ放送を聴かせている(笑)


画像はおばあちゃんとわが子。

2009年12月1日火曜日

ここのところのこと―臥せる・起きる

あっという間に過ぎた1週間。
相方が、せきやのどの違和感を訴えていて、そういうことは非常に珍しいために心配していたら、いつの間にか自分の方が・・・
一昨日あたりから、3人みんなでけほけほ行っているわが家。相方とわが子はそれでも元気らしい。


木曜―hodo-hodoさんに砧公園でお会いする。とてもリラックスしできました。まめちゃんの衝撃シーシーシーンも目撃!!シーシーでおしっこできる5ヶ月赤ちゃんて天才では?!?!?!

フリーマーケッター(? )の私、先日の戦利品、BOSEのパソコン用スピーカーを接続し、わが子にインターネット経由のBBCラジオを聴かせて、自己満足に浸る(笑)。その前には、南部イタリアの音楽ラジオに接続し、民謡に合わせて踊って見せたら、わが子がうけて笑った。

金曜―昼前からひどい頭痛。あわてて、どうにかわが子をお迎えに行き、その後、臥せる。2ヶ月ぐらい前だったか、目の炎症が出てからずっと眼鏡だったが、この眼鏡、活字など、近い場所をみると、頭痛が生じることを忘れていた。。。まあ、それだけ近い場所(活字)は見ていなかったということか。。。

土曜―近所の無印良品のカフェでお昼を食べる。頭が治ったばかりで、脂っぽいものでお腹がもたれるのは嫌だという私の意見で、ここに決まったものの、ふたりとも量が足りておらず、気がつくと無印のスナックを2袋も買ってぼりぼり食べ続けていた。。。

日曜―午前中、バスに乗ってひとりでフリーマーケットに行った。いくつか戦利品あり。夕方から体調不良 。夕方、熱を測ると発熱。夜間には39度近い熱が続いた。

月曜―朝方若干下がったので、そのまませきがあったわが子も巻き添えにして、一緒に寝続ける。午後、再び熱が上がりはじめたので、抗生物質と解熱剤を服用。薬が効きすぎるので、錠剤を4分の1にして服用したら、さすがに効かなかった。その後2分の1服用×2回。発熱おさまる。

夕方、親とスカイプをしたときに、九州にいる母が、わたしたちが東京にすんだ方がいいのかしらねえ、とぼそっと言う。母には非常勤であれ、せっかくの仕事を失ってほしくないと思う。これに対して、正直、父については定年退職後、 生きるための指標を失っている感が強い。また、実は父の方が子どもへの対応には向いているのではと感じている。
少なくない保育料を払って、親の自分がどことなく満足を感じられない状態と、その満足を感じられない面についてはおそらく満足はいくが、また異なるいろんな問題も生じそうな、祖父母による子守。悩ましい。

火曜―抗生物質のみ2分の1服用。大体のところ、体調回復。 今回と同じ症状が出て、一段落した時にかかった内科に行く。結論は今回もやはり、現状では、やることがないとのこと。相変わらず学術的説明がたくさん。おもしろい。しかし、私の症状に関しては、抗生物質を2-3回服用して治るぐらいでは、高齢出産の育児疲れから来るなにか、としか言いようがないらしい。



わが子、最近お座りの姿勢が比較的長く続けられるようになった。また寝返り自主トレも再開。
昨晩は、寝室の電気の点・消灯の紐を長くして、さらにその先にガーゼハンカチをつけたものをひっぱり、とうとう点・消灯に初成功!今まで、このハンカチをつかんではいたが、引っ張り方や、力が足りずにいた。
髪の毛もうっすら濃くなったように。。。

2009年11月24日火曜日

人に会いに行く


前の週の後半は人に会いに行くことの多い楽しい1週間だった。
木曜も、金曜も、土曜も、日曜も。
最近は、保育園の送迎の際ぐらいしか外出せず、且つ人と言葉を交わさないことも多いので、うきうきしていた。(笑)

初めてお目にかかって、お話しする方もいれば、旧知の友人たちとの再会もあり。

このうち、誘ってもらった友人のお姉さん宅でのホームパーティーは、夜7時から、それもうちから2度は電車を乗り継いで1時間はかかかるであろう場所であるというものだった。夜の時間帯、お酒、インフルエンザ、交通機関の乗り継ぎなど、わが子をめぐってあまりに障壁が多く、諦めかけていたが、最終的には、相方に託すという選択肢も捨てて、わが子持参を決行!
何度も電車の時間をチェックし、二つ目の乗り換え駅の日比谷駅で利用する路線にエレベーターがあることも確認したつもりだった。

しかしながら・・・
確かに、それぞれの路線にはエレベーターがあったものの、乗り継ぎの長い地下道には階段が存在した。駅員さんに訊くと、階段前で待つように言われ、ベビーカーを一緒に運んでくれる他の駅員さんを手配してくれた。その後も、エレベーターを利用するために回り道をしたりで、お宅についたのは、結局1時間半後。

そのお宅のあるマンションは、ものすごい高層ビル。部屋番号が4桁だったので、どういう仕組みになっているのかなとうすうす疑問に感じていたが、ついてみて発覚したのは二桁の階だということ(それも10階とかではない、20階とかでもない・・・)とにかくすごいと言う形容しか見当たらない、ビルの規模と、高さと、窓の外の夜景と、素敵なお部屋だった。わが子は、くちぐちに「おとなしいいい子ね」と言われるほど、愛想良し。そして本人の風貌はおろか、名前を言ってもなお男の子と間違われるという初体験。今までで最強。。。

気がついたら夜9時半、最寄りの駅まで送ってもらいふと時計をみると11時、さらに家に着いたのは12時過ぎ。帰りの日比谷駅の問題の階段は、すでに駅員の対応が終わっているとのことで、その場に着くと途方に暮れてしまった。とにかくのそのそとベビーカーをたたもうとしたその矢先、若い女の子が声をかけてくれて、ふたりでわが子の乗ったベビーカーを運んだ。

そもそも週末の夜にベビーカーで赤ちゃんと母親の二人で公共交通機関を使って外出というのが無理に無理を重ねてしまったというのが感想。また、もうちょっと誰か助けてよ、というのも正直な感想。そういえば、以前うちに遊びに来たフランス人のおじさんが、飲みに誘ってくれた時、子どもがいるからと私が辞退すると、「ベビーシッターは?」と言ったけれど、我が国では私のような普通の庶民は、自らの娯楽的夜間外出の為にベビーシッターを頼むという文化的、経済的基盤はないと思われる。(笑)

久しぶりに友達と会えたことに対して、楽しいと思う気持ちがとにかく強くて、裏を返せば、そんなにそういうことに飢えていたのかなとも思った。やっぱり、近くに気があって、気を使わずに、お酒を飲みつつ楽しい話ができる友人がいるということはとても重要だ。(笑)

そのためにまずしなくてはならないことは、
まず、近くにそういう友達を作ること。
次に、うちの中を人が入れるぐらいきれいにすること。

最後の休みの日は、近所の公園に行った。半額になっていた土鍋(5~6人用)を買った。