我が子初めて旅に出た。もちろん一人旅ではないけれど。。。
2泊3日の愛媛への旅。目的は砥部焼き祭りに行くこと。
旅行には関心のないほうだったけれど、普通の観光旅行が今回はとても楽しかった。そして疲れた。
我が子も、初めての飛行機やホテル、温泉など初めてのことをいろいろ体験した。
赤ちゃん連れの旅行で大変だったことや気付いたことを忘れないうちに簡単にメモしよう。
●移動●
自宅→空港の電車
平 日の朝7時過ぎに家を出て、電車を乗り継いで移動。空港までは1時間ちょっとの予定。通勤時間帯と重なるため、相方がわが子を抱っこひもで抱っこ。+スー ツケース一つ。わたしはベビーカを折りたたんで持つ。+バックパック1つ。やはり通勤時間帯は車内の人が多いので、つらかった。
また帰り は、日曜の夕刻だったので、ベビーカーにわが子を乗せて移動。車内が混雑していなかったので思ったより支障はなし。しかし、買った砥部焼はすべてスーツ ケースに入れて持って帰るという暴挙に出たため、荷物が重く、加えてエレベーター探しとそのための迂回が続き、結局行きと同じ行程に2時間かかった。。。
飛行機内
やはり大変・・・離陸・着陸時にぐずるのが一番怖かったのだけれど、これは寝ていたり、またスリングをかぶって授乳したりで思いのほか支障なし。しかし、飛行中せまい機内でかなりぐずった。これが10時間のフライトだったらなどと考えると。。。。
旅行中の交通機関
バ ス、市電、JRの特急+普通列車にベビーカーで乗ったけれど、特に問題はなし。でもこれも最終的には混み具合が問題になると思う。今回、それぞれの交通機関 の座席では、わが子を乗せたままベビーカーをわきに置かせてもらったり、授乳やおむつ替えも必要となったので、そういうことができる状況か(周囲の状況+ それをやる我々の気構えもしくは勇気?!)が最も肝要。
市電の運転手さんたちは、ベビーカーを下すのを手伝ってくれたりと皆さんとても親切だった。
結局、持っていくかどうか迷ったベビーカーは思いのほか活躍して、持っていってよかったと実感。今後、もっと体がしっかりしてきたら、より軽量で簡易型で携帯しやすいものだとなおよいとも思った。
●食事●
わが子は今のところ母乳一本なので、要は、スリングでもかぶって、どこででも授乳さえできれば問題はない。
しかし問題は、私たち。今回感じたのは、よっぽど、爆睡したり、機嫌のいい時でなければ、お店の側で赤ちゃん連れが可能でも、やっぱり食べ た気がしないということ。私はそれほど食にこだわりがないので、第一日目に地元のお寿司屋さんに行けたほかは、スーパーのお弁当や駅のうどん屋さんでも問題はなかった。けれど、ここにこだわりたければ、やはり、事前の綿密なリサーチとその時の赤ちゃんの状況という運の両方にかけるしかないと思った。二日目 の夜に、何も調べていなかったばっかりに、夜の歓楽街を歩き回ることになり後悔した。その挙句に入った定食屋さんでは、おばちゃんが、わが子を抱っこして あやしてくれたりして、親切にしてもらったのだけれど。
結論:5か月のわが子連れの旅は、いろいろと大変ではあったけれど、思ったほど行動は制限されなかったように思う。むしろ、わが子がいたことで、親切にしてもらったり、楽しいこともいろいろあった。ただ、ご飯を食べることについては、やっぱり大変かなという印象。
そうそう、砥部では、絵付け体験までしてきた。お皿にはぐずるわが子を相方に抱っこしてもらいわが子の顔を描いた。2週間後に送られてくる完成品が本当に待ち遠しい。この先こうした親馬鹿ぶりが加速しそうな私である。
2009年11月5日木曜日
ここのところのこと
●週末の高熱は無事下がったけれど、相変わらずかなり重度に鼻ずるずるなわが子。
●保育園には今週いっぱい休園を伝えた。何故って、金曜日からは初旅だから。万全の態勢で挑まねば。
●一番近所にある小児科へ行く。ここの女医さんは、保育園の検診担当。旅に向けて、念のため鼻水・痰の薬と解熱剤の座薬をもらう。先生の説明は丁寧。少し待ったのだけれど、そもそも体調がおかしい子が集まるのが小児科なので、この場自体が相当リスキーだと改めて実感。そういえば、我が子が高熱を出す前日に保育園の検診漏れのために、ここに来たんだった。高熱はそのせいだった?!?!?!
●ここのところ、母とスカイプをしたり、用事で電話がかかってきて少し長い子と話していると、わが子が泣いて怒りだすようになった。
泣くと言っても、悲しいからではない。完全に「自分はここだ!なぜ自分に関心を向けない!!!」という抗議のサインである。だから涙はほとんど出ない。
●また、テレビがないわが家。わたしがみつづけるyoutubeの画像に関心を示すように。そして、先日から母がつけたカメラでお互い相手の映像をみながら話ができるようになったのだが、母の顔にも若干驚きながらも関心を示し、、抱かれていると顔をそむけてもじもじしたりするようになった。
人見知りか?!?!
●隣町の「お出かけ広場」に身体測定に行く。着衣込みだと8キロを超えた。身長は68.4センチ。
●相方がマイケルの映画を見に行った。いっしょに見に行った親友の方のお子さんのお下がりを頂戴した。うちでは、初ベビービョルン!(笑)(写真)
●保育園には今週いっぱい休園を伝えた。何故って、金曜日からは初旅だから。万全の態勢で挑まねば。
●一番近所にある小児科へ行く。ここの女医さんは、保育園の検診担当。旅に向けて、念のため鼻水・痰の薬と解熱剤の座薬をもらう。先生の説明は丁寧。少し待ったのだけれど、そもそも体調がおかしい子が集まるのが小児科なので、この場自体が相当リスキーだと改めて実感。そういえば、我が子が高熱を出す前日に保育園の検診漏れのために、ここに来たんだった。高熱はそのせいだった?!?!?!
●ここのところ、母とスカイプをしたり、用事で電話がかかってきて少し長い子と話していると、わが子が泣いて怒りだすようになった。
泣くと言っても、悲しいからではない。完全に「自分はここだ!なぜ自分に関心を向けない!!!」という抗議のサインである。だから涙はほとんど出ない。
●また、テレビがないわが家。わたしがみつづけるyoutubeの画像に関心を示すように。そして、先日から母がつけたカメラでお互い相手の映像をみながら話ができるようになったのだが、母の顔にも若干驚きながらも関心を示し、、抱かれていると顔をそむけてもじもじしたりするようになった。
人見知りか?!?!
●隣町の「お出かけ広場」に身体測定に行く。着衣込みだと8キロを超えた。身長は68.4センチ。
●相方がマイケルの映画を見に行った。いっしょに見に行った親友の方のお子さんのお下がりを頂戴した。うちでは、初ベビービョルン!(笑)(写真)
2009年11月2日月曜日
39度
ここのところ、ずっと鼻水がひどかった我が子。保育園を1日休み、翌日、相変わらずずるずるだったけれど、ハロウィーンの為にコスプレして登園した。
心配だったから熱も測っていたけれど、発熱はずっとなかった。一昨日は、私のほうが鼻水がひどくなって、喉も痛み出したので、わが子からうつされちゃったかなと心配していた。
そんななか事態は急展開。
夜 9時前、わたしたちが遅めの夕食を摂ろうとしていたところ、目を覚ましたわが子。おっぱいをやろうとして抱きかかえると、頭が異常に熱い。体温を計ると、なんと39.1度!!!これまで一度だけ発熱があったけれど、それでも38度にいくかいかないかだった。 あわてて区の小児用の緊急対応の場所に電話。そうすると、そこは9時半までだから、あとは救急医療機関に行くしかないと言われた。
幸い、うちから歩いて10分ほどのところに、おそらく専門性や規模で、全国一ではないかと思われるほどの子どもの為の国立医療機関がある。そこに電話して、直行。さすが専門機関だけあって、すべての外来救急患者を受け入れているが、トリアージを通す。少し待って、女の若い先生に診察してもらった。熱で、いつものような元気はないものの、相変わらず愛想の好いわが子。結果、特に目立った症状もないし、機嫌も悪くないので、朝まで様子見とのことで帰された。
うちに戻ったのが夜11時ごろ。それから朝まで1~2時間おきに、体温を測りながら、わが子が目を覚ますと授乳した。苦しそうに息をしながらも寝ているわが子。このままいつの間にか意識がなくなっていたりなんかしたらどうしようと思うと気が気でなく、眠れなかった。
結局、朝まで39度近い熱が続いた。そこで、朝7時に再度受診。今度は男の先生だった。わが子またもや高熱の中、愛想を振りまこうとする。そのせいで?!、「熱は高いけれど、なんだか機嫌いいね。特に目立った症状もなく、機嫌がよかったら、大丈夫じゃないかなあ」と言われた。39度程度の熱が出ても、ぐったりしたり、引きつけなどを起こしたりといった目立った症状がなければ、発熱だけでは、髄膜炎など、脳に問題が出たりすることはないと説明を受けた。また、保育園に行っているということで、念のためインフルエンザと尿路感染症の検査だけ受けることに。血液と尿採取の為、いったん私たち親は診察室から出された。間もなく、わが子の泣き声が響いたものの、けろっとして看護師さんに抱かれて出てきた。
検査結果が分かるまで1時間弱院内で待機。国立の機関ながら、院内にはたくさんの種類の食べ物がある売店や、おもちゃ専門店まである。おもちゃのお店は閉まっていたけれど、 売店でがっつり朝御飯を買い込み、随分とほっとした気持ちで、朝食をとった。
前日の夜の最初の診察を担当してくれた女医さんは、この朝の診察の時にも見かけた。おそらく、連続勤務なんだろう。高度医療の機関ながらも、わが子のように「ただの風邪」から、本当に重篤な患者まで受け入れなくてはならない状況で、お医者さんたちはどれだけ重労働を行っているのだろうかと思った。ものすごく魅力的な仕事だなと思うけれど、本当に激務だと思う。
また、病院内ではいろんな光景を見た。救急車で運ばれてきたものの、自分で寝台から降りて待合室で待っている子、逆に、トリアージを受けている途中で容体が急変して、意識がなくなってしまいあわてて診察室に運ばれた子、お母さんに担がれて「タミフルなの?」なんて言っている相当大きめの子がいたり。
検査の結果はいずれも陰性。いわゆる風邪由来の高熱だろうということで、診察終了。病院を出たのは午前10時。病院を出る前に体温を測ると、すでに37度台にまで下がっていた。 このころには、待合室はたくさんの患者さんで、いつの間にか一杯に。
外はぽかぽか陽気で抜けるような青空。そんななか、心穏やかに3人で家路につけることがとても有難い1日だった。
心配だったから熱も測っていたけれど、発熱はずっとなかった。一昨日は、私のほうが鼻水がひどくなって、喉も痛み出したので、わが子からうつされちゃったかなと心配していた。
そんななか事態は急展開。
夜 9時前、わたしたちが遅めの夕食を摂ろうとしていたところ、目を覚ましたわが子。おっぱいをやろうとして抱きかかえると、頭が異常に熱い。体温を計ると、なんと39.1度!!!これまで一度だけ発熱があったけれど、それでも38度にいくかいかないかだった。 あわてて区の小児用の緊急対応の場所に電話。そうすると、そこは9時半までだから、あとは救急医療機関に行くしかないと言われた。
幸い、うちから歩いて10分ほどのところに、おそらく専門性や規模で、全国一ではないかと思われるほどの子どもの為の国立医療機関がある。そこに電話して、直行。さすが専門機関だけあって、すべての外来救急患者を受け入れているが、トリアージを通す。少し待って、女の若い先生に診察してもらった。熱で、いつものような元気はないものの、相変わらず愛想の好いわが子。結果、特に目立った症状もないし、機嫌も悪くないので、朝まで様子見とのことで帰された。
うちに戻ったのが夜11時ごろ。それから朝まで1~2時間おきに、体温を測りながら、わが子が目を覚ますと授乳した。苦しそうに息をしながらも寝ているわが子。このままいつの間にか意識がなくなっていたりなんかしたらどうしようと思うと気が気でなく、眠れなかった。
結局、朝まで39度近い熱が続いた。そこで、朝7時に再度受診。今度は男の先生だった。わが子またもや高熱の中、愛想を振りまこうとする。そのせいで?!、「熱は高いけれど、なんだか機嫌いいね。特に目立った症状もなく、機嫌がよかったら、大丈夫じゃないかなあ」と言われた。39度程度の熱が出ても、ぐったりしたり、引きつけなどを起こしたりといった目立った症状がなければ、発熱だけでは、髄膜炎など、脳に問題が出たりすることはないと説明を受けた。また、保育園に行っているということで、念のためインフルエンザと尿路感染症の検査だけ受けることに。血液と尿採取の為、いったん私たち親は診察室から出された。間もなく、わが子の泣き声が響いたものの、けろっとして看護師さんに抱かれて出てきた。
検査結果が分かるまで1時間弱院内で待機。国立の機関ながら、院内にはたくさんの種類の食べ物がある売店や、おもちゃ専門店まである。おもちゃのお店は閉まっていたけれど、 売店でがっつり朝御飯を買い込み、随分とほっとした気持ちで、朝食をとった。
前日の夜の最初の診察を担当してくれた女医さんは、この朝の診察の時にも見かけた。おそらく、連続勤務なんだろう。高度医療の機関ながらも、わが子のように「ただの風邪」から、本当に重篤な患者まで受け入れなくてはならない状況で、お医者さんたちはどれだけ重労働を行っているのだろうかと思った。ものすごく魅力的な仕事だなと思うけれど、本当に激務だと思う。
また、病院内ではいろんな光景を見た。救急車で運ばれてきたものの、自分で寝台から降りて待合室で待っている子、逆に、トリアージを受けている途中で容体が急変して、意識がなくなってしまいあわてて診察室に運ばれた子、お母さんに担がれて「タミフルなの?」なんて言っている相当大きめの子がいたり。
検査の結果はいずれも陰性。いわゆる風邪由来の高熱だろうということで、診察終了。病院を出たのは午前10時。病院を出る前に体温を測ると、すでに37度台にまで下がっていた。 このころには、待合室はたくさんの患者さんで、いつの間にか一杯に。
外はぽかぽか陽気で抜けるような青空。そんななか、心穏やかに3人で家路につけることがとても有難い1日だった。
2009年10月29日木曜日
・・・番長

わが子は、今朝鼻水がかなりずるずるで、しかも生まれて初めて、噴水のように飲んだおっぱいを吐いた。今週は3日間連続で、連日3~4時間の保育時間だったから疲れたのかも。加えて、昨晩は相方が発明したベッドの上のガラガラ吊るしに、異常な反応を示し、高速ばたばたを続け、うまくガラガラをつかむと狂ったように振り回していたし。
本日休園。私も雑務がちょっとだけひと段落したので、今日は休息日とする。
今朝起きた時、わが子の右目が微妙に二重に。でも今見たらまた戻っていた。女の子らしい顔つきになるのはいつなんだろう?どんなだろう?と勝手に思いを馳せる。
というのも・・・・
最近日に日に俊敏さと、精悍さと、凶暴性を増しているわが子。
先日は写真をみた祖母に、「一休さんみたいでかわいい」と言われていた。確かに似ているが。それはまだよかった。
つい数日前の保育園の面談では、「・・・番長みたいで、来年はリーダーになってみんなを引っ張ってもらわないと」と言われた。肝心なところを聞きそびれた。そして聞き返すことができなかった・・・
「一体わが子は何番長なんだ?!」
また私が、「最年少だし、最初はうまく自分を主張できなかったらどうしようと思っていたのですが・・・」と言うと、保育士さんたちお笑いになるし。そう、わが子、相当自己主張激しいらしいのだ。薄々感じてはいたんだけれどね。。。
2009年10月26日月曜日
今日のわが子―その2
週末は体調不良で外出することができず、予定を2件キャンセルした。
しかし、一昨日から、夜中の授乳が1回だけだ。2回や3回が1回に減っただけで、起床時に感じる疲労感が相当違うことを発見。やっぱり、体調不良の原因は睡眠不足にあるのかも。
ずっと家の中にいたこの週末は、木琴や電子ピアノを引っ張り出して、わが子とともにとても騒々しく遊んだ。というのも最近、わが子は楽器の音に反応するようになったから。そしてなぜか私、「迷子の迷子の子ネコちゃん~」の換え歌をつくって絶叫したり。。。。それから絵本にもちょっと関心があるらしい。でもやっぱり基本は抱っこ。最近は寝返りの苦行も形を潜め、ひたすらわが子にとっての至上の快楽、抱っこを求める。
かまわれないとすぐに怒って喚くようになったわが子だが、放置するのも酷だし、それを避けるためにこちらが頑張ると、それはそれで結局くたくたになる。おまけに昨日はちょっといろいろな音の刺激が強すぎたのか、寝る前にぐずった。しかし、そういう時でも抱っこしたその瞬間に泣き声が止まり、笑みに変わる。怖いぐらいの変貌だ。今日は保育士さんにも、おんぶとか片手抱っこじゃ駄目で、両手をふさいで真ん中で抱っこしてもらうことを好む(裏を返せばそうじゃないと、喚くのだろう・・・)早いけれど知恵がついてきたのかもと言われた。
ここ数日のわが子のブームは、「ぶぶぶぶ」と言うことだ。
私のブームは、youtubeで70年代から90年代までの歌謡曲を聞くこと。
2009年10月22日木曜日
2009年10月21日水曜日
ここのところのこと

早いものでもう10月下旬
10月入ったら取りかかろうと思っていたことはまだまったく手つかず。。。
にもかかわらず、保育園の月末のハロウィーンの仮装はどうしようかとか、来月計画している旅行とかのことばかり考えている。
ここ数日、授乳で真夜中に起きた後、すぐ眠れず、眠れても変な夢をみる。
一昨日は、相方が「あ、UFOだ」と言ったので見ると本当にべたな形の半透明のUFOが数機頭上を通り過ぎてゆき、それから家のそばで戦争が勃発して、逃げまどった。
昨晩は、どういう脈略でかは忘れたけれど、島田紳助が出てきて、デパートの高層階にある書店にいたところ、そこが乗っ取られ?人質に取られてしまい、でも必死で脱出した。
そういえば妊娠中はそんな夢ばかりずっと見続けていた。。。
ところで最近、気に食わないと本当に大声でなくわが子。何の拍子でかは、これまた忘れたけれど、鼻息で一生懸命フーンと息を吐いてみせると、とても喜ぶことを発見。どんなに大泣きしていてもこれで笑顔になる。が、簡単なようでこれは本気でやるとかなり疲れる。それでも抱っこよりははるかにましというのが、私と相方の共通見解。
昨日、先週行った医院に血液検査の結果を聞きに行った。異常なし。ひとつひとつの項目を丁寧に説明して下さる上に、前回、私の保険証のコピーにメモしていたことやこの検査値が、綺麗にカルテに書きこまれているのをみて感動。いや、前回は、てっきり先生はカルテ作る気ないんだろうと思っていたので。。。その他、わが子も連れて行ったので、3カ月から離乳食を始めていいとか、お風呂上がりには人参のしぼり汁がいいとか、女性にしては私の血が濃いとか言われて帰ってきた。この医院、好きだなあ。
ここのところわが子は、寝返りをあまりしなくなった。目下のところの変化は、抱っこしないと一層大きな声で泣くようになったこと。それから今日、保育園で初おんぶだったらしい。うちではまだおんぶ紐がないのでできなかったのだが。保育士さんによると、おんぶはあまり好きではないようで、ずっと後ろでけりを入れていたそうだ。そう、そのけりもものすごく俊敏になってきている。なんとなくひざ下が太くなった気がする。
わが子、髪伸びたらどんなふうになるのかやってみた・・・・・
2009年10月19日月曜日
生きていること
最近、耳にする言葉が少ない。
外で人と話す機会は保育園の送り迎え以外ほとんどない。
わが子が発するのは喃語と泣き声、そして相方は「うーん」という喃語以下の中途半端な相槌が殆ど。そうでなくとも、基本的に、指示語と擬音語と擬態語だけで表現しようとする。指示語だけで通じない場合、色で形容されればまだいい方だ。
「あ、それピッとやって…、うーん、それじゃなくて、そ、その赤いの…」みたいな。
もともとボキャブラリーに乏しいうえに、こういう環境にいると、ほとんど言葉が出てこなくなる。
そうした中、今、仕事の計画を考える文書を作成中だが困難を極めている。自分が今までやったことはことごとく忘れてしまう性質なのに加え、現状ではうまい言葉を見つけたり、論理的に考えたりする脳が死んでいる。1日2行ぐらいしか思い浮かばない。そこで、他の人たちの仕事を検索してみた。そんなことをしているうちに数年前に30台半ばで癌で亡くなられた女性研究者とその夫の闘病記のブログが1冊の本となって出版されているのを見つけた。
本のタイトルは、正直、メロドラマのようで感傷的過ぎて恥ずかしいのだけれど。ウェブ上で立ち読みしたら、脳にまで癌が転移した彼女が、治療の過程で、夫のことが誰だかわからないと泣いてしまう場面があり、泣けた。その後、となり駅の本屋さんで実際の本をざっと立ち読みさせていただくと、本人と夫という闘病の当事者によってその当時に綴られたものであり、二人とも文章をまとめることのプロであることから、タイトルや表紙の写真から連想されたほど感傷的な場面がほとんどないことを知った。というよりも、すでに発見されたときは癌が進行しており、すでに感傷を連ねるような状況には全くなかったということが大きいのだろう。
かつて、所属している会のメールで訃報が出されており、まったく存じなかった私は、随分と早くに...と思った。その後、その方が著書にまとめられた仕事を拝読する機会があり、本当に素晴らしく、とても感動した記憶がある。これからというときに、体、そして彼女にとって一番大切な脳も冒されていく苦しみがどれほどであっただろうかと思う。
命こそ尊い、生きていることが何よりも尊いということについて、そうだと思うこともあるし、そうだと思えないこともある。たとえば、生きることをやめたいほどの苦しみを持つ人に、この言葉は時として限りなく空虚に、残酷に響くとも思う。わが子がやってくる前は、ただ生きていることなんて当然過ぎて、考えることはなかった。そして最近の自分は、今、ごく普通に生きていられることを有難いと思えるようになった。またそう思える自分のことを嬉しいと思える。
週末、妹が来た。お知り合いの方からと言って、クリームをもらった。とってもかわいい!ありがとうございました。
それから、アリを埋葬した。バイバイまたね。
2009年10月16日金曜日
とうとう

昨日は何もしない/できない1日だった。
つまりいつもどおりということかもしれないが。
午前中、早めに保育園に行く。2時間半程度預けて、その間雑用をするつもりだった。そして気になる体調不良については午後にでも病院に行ってみるつもりだった。が、ネットで見つけた近所の医院に電話すると、血液検査をするなら午前中のほうがよいとのこと。そこで急遽、その医院に行くことに。ただ電話をした時に、医院名を名乗るわけでもなく、電話で医師らしき方がやたらに長くお話を聞いてくれ、高齢らしき彼が何度も同じ事を聞くのには、少し不安を感じた。暇なのか?!
前から散歩中、通りがかりでみたことのあったこの医院はごく普通の民家。自転車で数分足らずで着いたものの、やはりあまりに人気がないので入るのをやめようかと思ったが、勇気を出して入ってみた。
誰もいない・・・
ブザーを押して声をかけると、院長らしき、先ほど電話で応対してくれた医師が出てきた。期待していたその院長の娘さんであろう女医さんは、尿検査の時だけ出てきた。言葉が非常にゆっくりで聞き取りにくく、表情があまりない。んんん?!?!?
結局、診察が始まるまで誰もいない割には長く待たされて、診察スタート。診察室は完全に昭和の町医者の雰囲気。雑然とした机に、パソコンもなく薬品などが入った木の戸棚が並び・・・院長先生は非常に丁寧にお話を聞いてくれた。で、聞いた話を私の保険証のコピーの紙の余白に書き込んでいる。書き込みつつも、時々同じことを聞いたりする。また自分が大学病院にいた際の60歳台の女性で妊娠反応が出たというとてつもないレアケース、ドイツでの早い離乳、そして小泉政権から医療が悪くなったというようなはなしをしてくれた。
予想に反して?!次の患者さんが来て、血液検査の業者の来る時間も迫っているとのことで、採血して終了。あとで時計を見るとほとんど1時間半近くいたことになる。大掛かりな検査機材もなさそうだし、今の診療報酬の点数では、こういう診療は本当に厳しいだろう。しかし本来、ホームドクターの役目ってこういう風なんじゃないのかなと思う。
夕方、散歩に出かけたら、1ヶ月ぶりに近所のママ友さんにスーパーで偶然であった。我が子を見て開口一番、「あれっ、髪の毛切った??」と。切ったとしたら、これって頭頂部がうっすら長い波平さんで、後は五分刈りってことになるけれど・・・一応女の子なんだけれど・・・いろいろと積もる話が尽きず、立ち話だったけれどとても楽しかった。
アリが逝った。
2009年10月14日水曜日
3,4カ月検診

3,4カ月検診があった。
まあ検診と言うと聞こえはいいが(笑)、問題はBCG接種があること。そう、ハンコ注射!
3種混合の接種は9月末に個人医院で、ほとんど泣くこともなく無事終了した。が、しかし、今回のハンコ注射!
何が恐ろしいって、あのミニチュア拷問道具のような器具をぐいぐい押しつけられ、挙句の果てに注射痕が残ってしまうということだった。というかまだ過去形にはできないのだけれど。
あの注射痕、注意してみていると、この夏場には、かなりひどく残ってしまっている若い人を結構見かけた。そもそも日本では結核の罹患率も高いらしいし、だったらBCG効いてないんじゃん、で結核が重症化して後遺症残るぐらいになる確率ってどんだけだよ、とかなりふてっていた。そう今日までは。
とはいえ、いざ当日となると、やはり一人だけ接種拒否する勇気もなく・・・
4,50代の茶髪を結った女医さんが腕組みして待っていて、接種中、わが子を抱き抱えた私がわーきゃー言っていると、呆れられた。わが子も今回は泣いた。注射したところが自然乾燥するまでひたすら待って、終了。
3,4カ月検診はと言うと、これまた齢4,50代の黄土色(こういう表現はないな)の髪にまっピンクの口紅に、ギャル系(かどうかはわからないけれど)のグラデーションが入ってラインストーンまでついているような完璧なネイルをした女医さんが担当。まあわが子はこれでもかというぐらいにこにこ、ばたばたしながら、完璧にふるまった。よってお墨付きを頂く。
ちなみに身長68センチ、体重7.5キロ。この身長はほとんど7,8カ月の平均だ。このところ体調不良に加え、抜け毛も著しい私。完全母乳なので、搾取されるだけされている感がある。最近は私の方が冬を越せずに、カブトムシのアリよりも先に逝くんじゃないかという噂もあり。
母親の方の体調不良ということで、保健師のカウンセリングを受け、離乳食の話を聞いて帰路に。
帰りにスーパーによって特売のサンマとバターとマヨネーズを買って帰宅。
注射痕、母ちゃん恐ろしくて見られません。
2009年10月11日日曜日
復活気味

ここ1カ月ほど、自分の体調が悪いことばかり書いていたけれど、少しづつ回復しつつある。わが子の方は、若干鼻がぐずぐずしたり、ゼロゼロしたり。
外出活動?も再開。
まず、新宿まで、わが子のパスポートを受け取りに行った。受領には本人が出向くことが必須なので、なかなか行けなかったが、このままではと思い、出発。雑踏の中を歩き回る気も起きず、とんぼ帰りだった。誕生100日祝いを狙って申請したのだけれど、発行日は99日目になっていた。パスポートの顔写真、髪の毛が近隣某国の支配者のようで・・・
久しぶりに週末出かけた。また小田原へ。
ゾウのウメ子もいなくなった今となっては、とくに何がある街でもない気もしないわけではないが(笑)、私はこの街が大好き。地方都市の衰退はここにも見えるようで心配だけれど、城下町の落ち着きや整然とした文化的な雰囲気がある一方で、素晴らしい海もあり。素敵な街だと思う。
海に行く途中で、お城の向かいにあるとても立派な小学校でバザーが開催されているのを発見。そこで5冊100円で絵本を手に入れ、中学生の吹奏楽団の演奏を少し聴いた。それからビールを飲みながら海辺を歩いて漁港まで行き、そこでお刺身定食を頂き、お城の方に戻る。お城の乗り物公園の電車に乗り、空になったゾウ舎の前で少し休憩し、干物とミカンを買って帰ってきた。ゾウ舎の前に張られていた市長の追悼文がとても気が利いていて、涙腺が緩んだ。
次の日は、スーパーのお弁当を持って、近所の砧公園まで散歩。いい日和だったのでとても人が多かった。そしてそのまた次の日は駒場のあたりを散歩。
外出した時は、その大部分は、抱っこひもで担がれたままお父さんの胸で寝ているわが子だが、今回は、目を覚ますと、周りの風景を興味深そうに眺めていた。
今週末は復活途上の割には、無理しすぎたかも。後に回されるのが、勉強になるので、もうそろそろ本格的に生活を立て直したい。
そういえば、我が子のオムツがMサイズになった。それからレンジで焼き芋を作る方法を試したら、かなりおいしくて嬉しかった。
2009年10月8日木曜日
ここのところのこと―メモ

・保育園滞在時間最長を記録!
→3時間半! しかし哺乳瓶のミルクは拒否したらしい。なぜ?うちでは哺乳瓶二つとも大丈夫だったじゃない。
・とにかくよく笑う。
→外出するとかなりのおばちゃんキラーぶりを発揮している。おそらく、どことなく垢ぬけなく、昭和な雰囲気を残した大きめの子だからだろう。先日は商店街を歩いていたところ、初老のご婦人に話しかけられ、それにとにかくにこにこ応えていた。「まあ、笑ってくれるのねえ、ありがとう」と言われていた。それに対して、親の私も、「ありがとうございます」とお礼。こういうのって、ペットをほめられたり、なでられたりした飼い主の反応の仕方と一緒だよなとふと思う。
今日は、清算に行った病院で、50代ぐらいの看護師さんの目にとまり、ずっとあやしてもらっていた。お下がりのいかにもな全身ピンクの服を着ていたのに、「お譲ちゃんよねえ?」と確認された。わが国ではピンク着てれば女の子じゃなかったのか?!?!
・外面(そとづら)らしきものが定着。
→家では、気にくわないと、むきむきの脚でキックしながら大声で泣いたりする。まあ、「立て抱っこで揺らされる」ことで瞬時に泣きやむので、かわいいもんなんだけど。で、外ではそういう行動を一切見せないようだ。結構にこにこ、静かに他の人に抱かれ、すやすや寝たりする。。。
・よく寝る
→最近は1回2時間前後だけれど、とてもよく寝るようになった。
・自分の母親の声を聞き分ける
→昨日参加したこの地区の0歳児の集まりで、そう言われた。母ちゃん今までそのことには気づかなかったよ!!
・寝返りしてから手が前に出るようになった
→ただまだ手/腕をつかって移動はできないみたい。手を前に出して苦しんでいる。
・最近かぶとむしのアリが元気
→一度弱ったのに、最近よく動く。あなたの同胞たちは、9月半ばには絶滅されているらしいですよ。。。
2009年10月7日水曜日
落ち込み気味

10月に入って最初の週末は寝込んでいた。
それ以前からあまり体調は良くなかったけれど、あれよあれよと言う間に39度近い熱が出て下がらない。先日と同じような症状。とりあえず市販の解熱剤を飲み、週明けに耳鼻科に行ってみた。とりあえず抗生物質と解熱剤が処方される。解熱剤を飲むと、どんどん熱が下がり、ついに34度台に。もともと薬が効きやすいし、この1年は薬を飲まなかったこともあるかも。高い熱や各部の炎症がさくっと消えてしまう薬の効果には本当に感謝するけれど、反面恐ろしくもある。
今は、ほぼ平常に戻っているけれど、おそらく育児疲れから来ている根本的な体の不調のようなものは改善されているようには思えないので気をつけようと思う。対処療法だといつか大きなトラブルが出かねないので、近所に、漢方などを処方してくれるようなお医者さんがないものかと思ってさがしているところ。ためしに通うのも体、労、資力を浪費するので。。。年齢も年齢なので、下手をすると更年期障害や自己免疫疾患にもつながってしまうらしい。
体調を崩すと、普段の健康な状態のありがたみをひしひしと感じる。
体も冴えない中、ちょうどめぐってきたまたとないチャンスを逃してしまう。うーん。これはいろいろな意味でかなりショックだった。でも翌日にはかなり忘却されてしまっているのだけれど。自分バカだなと自己嫌悪に陥る。
わが子よ、母ちゃんは頑張っているつもりなんだけれど、まだまだ何かが甘いみたいだね。
2009年10月1日木曜日
昨日とは違う世界

昨日の朝
相変わらず体調がすぐれず、雨の中保育園に行くことができず、相方に登園をお願いした。相方、仕事に行く途中にわが子を連れていくのはこれが初めて。スーツに抱っこひも装着。普段の通勤かばんに、真っ黄色に黄緑の縁取りの園の指定カバンを持って出かけた。
1時間半後、私がお迎えに行くと、保育士さんに抱っこされて余裕の顔を見せて出てきた。保育士さんも言っていたけれど、ほんと、「あら、おかえり」と言わんばかりの顔。仰向けに寝ていたときに、いつの間にか体が横向きになっていたので、寝返りも近いかもと言われた。
その後、午後はいつもの通り過ぎて行った。
昨日の夜
夕飯の前に、いつものように座布団の上にあおむけに寝かせていると、両足を垂直に上げて、そのまま横に倒れた。あれっ、やるか?!と思って動画を撮ったら、見事やりました…
初寝返り!
しかし座布団と床の段差を利用して転がるので、ちょっとペナルティーつくかもしれないけれど。
12時間後、今朝。
わが子の世界は激変した。
寝ていないときは、とにかく転がりまくる。それも、昨日よりは随分笑みをたたえられるようになったものの、依然、転がったあと持ち上げた頭が重たかったり、体勢の立て直しができないまま、うんうんうなったり、よだれや飲んだお乳をだらだら吐きながら頑張りまくる。
止まらない・・・
そして今、夜7時。空中に持ち上げた足を横に倒して、体が横向きになったまま、いつの間にか、寝入ってしまった。
寝ていないときは、とにかく抱っこを要求するような時もあったから、それと比べると一人で遊んでくれるのはありがたい。しかし、ちょっと目を離したすきに違う向きになっていたりと、今度は全く目が離せなくなった。
昨日までひとりでは動けなかったのにね。
2009年9月29日火曜日
あったこと-メモ

まず、わが子、初めて編
・今朝、仰向けに寝ながら、左手で左足を掴んでいた。わが子は足のばたばたが激しく、手よりも足が発達しているように見受けられたが、初めて左手meets左足ということで、今後は手足のコンビネーションが見られるか?!
・初予防接種終了。DPT1回目だったけれど、注射が終わりかける頃に異常を察知して泣きかけようとしたところで、無事終了。えらかったぞ、わが子!
・お風呂は相方担当だけれど、帰宅が遅かったので、初めて湯船にまで一緒に入った。湯船はわが子はぷかぷかしていて楽なんだけれど、洗い場では、石鹸をつけるとぬるぬる滑って怖くて、顔、お尻、背中はほとんど洗えず。またやっぱり最初から最後まで一人だと、自分はほとんど真っ裸でわが子を拭いて服を着せるので、風邪引くかと思った。
・バウムクーヘン食べたい?とささやき声で言ったら、キャッキャとわが子が非常に喜んだ。音が面白いのかと思ったら、別に、チョコレートケーキでも、ライオンでもキリンでも同様に反応することが判明。
つぎ、私の諸々編
・最近急に髪の毛が猛烈な勢いで抜けるようになった。妊娠初期にそうした時期があったけれど、それ以来とくに髪のトラブルはなかったのに・・・もともと少ないのにさ・・・
・のどが痛い。9月はとにかく体調不良が続いた。はあ。
・その最近の体調不良があるので、防衛本能が働いているのか、暴食気味。しかし今月でようやく妊娠前の体重にほぼ戻った。
・最近、わが子の熱を測るときやもうすぐ家に着くけれどわが子がぐずっているときに、あといくつでつくよといって数を数える。抑揚をつけると喜ぶ。ちょっと前の芸人の世界の・・・みたく。それと関係しているのか、否かふとNENAの 99 Luftballonsが聴きたくなり、youtubeでチェック。しばしはまっている。
2009年9月27日日曜日
あったこと-メモ

ここ2日間のこと
・わが子をうつぶせにしたら、頭が上がった。床と顔がほぼ垂直になったのは今回がはじめて。わが子、うんうん苦しそうにうなりながらだったが、顔が上がったときの誇らしそうな顔といったら・・・
・わが子、抱っこや授乳中の、反り返りの姿勢が多くなる。
・わが子、手足が分厚くなって、ぷくぷくむきむきに。握力キック力ともに増強中。
・親子3人で保育園の運動会に参加する。唯一の参加種目では、競技中、お父さんの腕の中で寝ていた。
・運動会のあと、片道1時間半以上かけて研究会に。半年以上もそういう世界からは遠ざかっていたので、ほとんどカルチャーショック。ハードな1日に疲労困憊。
・完全母乳だったわが子、お父さんとお留守番中にミルクデビュー。ふたつの哺乳瓶に何の躊躇もせずかぶりつき、ミルクも完飲(相方談)。
・新たに私の左目が不調に。
・死んでしまったと思っていたかぶとむしのアリが生きていた。
2009年9月24日木曜日
散々な連休後半

先週は、私が鼻風邪をひいてしまい、家族全員もぐずぐず状態が続いていたが、どうにか乗り切っていた。
しかし今週。
月曜―午後からわが子に発熱があることに気づく。夜までに37度後半から38度を超える熱が続いた。こうした本格的な発熱は初めてのことで、とくに風邪の症状もなかったため、かえって心配に。しかも祝日だ。区の小児救急診療所に電話すると、様子を見るようにとのこと。夜通し1-2時間おきに体温測定。どうやら深夜に発熱はおさまった模様で、翌朝は元気にバタバタしていた。
火曜―その元気になってバタバタしていた朝、わが子の目が目やにだらけになっていることを発見。これも初めてのことで、あの赤ちゃん特有の長いまつげと、澄んだ瞳が無残な状態になり、ふたたび心配に。ただ祝日で最寄に病院もなく、昨日のこともあったため、外出せずに過ごす。
水曜-日付が変わって数時間ほどした頃、目が覚めて、自分の目に異常を感じる。右目が充血し、腫れており、目脂が・・・朝、わが子を見るとわが子の目はうそのように完治していた。これまで目が腫れたことなどなかったので、心配になり休日にも開いている数駅はなれた病院に親子3人でいくことに。病院ではなぜか、私の症状はわが子のものがうつったのではないと断言された。加えて、お子さんはもう大丈夫だけれど、お母さんの方が心配と言われる。
午後、強い疲労感があり、熱を測ると38度近くあった。インフルエンザか?!と病院に行くも、発熱してから時間がたっていないので調べられないと帰される。その夜、インフルエンザかもしれないと言う不安を抱えている私を置いて相方がコンサートに行ってしまう。人間性を疑った。。。
結局夜まで38度台前後あったが、未明には熱が下がった。
木曜-相方は有給を取っていたが、この日もわが子を朝の1時間保育園に連れて行ったほかは、家で過ごす。
今回のことで、強い感染症にかかろうものなら、一家は瞬く間に機能不全に陥るであろうことを実感した。大袈裟のようだけれど。これが復帰後だったらと思うとぞっとした。
ふう。散々な連休後半でした。
2009年9月22日火曜日
ウメ子 さようなら
ウメ子がいた場所には訪れた人たちが持ってきたお花が供えられていた。がらんと空いたゾウ舎の敷地は、なぜか先日来た時よりも、とても小さい場所に見えた。その前には、献花台やメッセージや記帳を書く台、彼女の略歴を説明する立て看板があり、市の職員の人が対応していた。ゾウ舎を一望できる近くの木の下でしばし休憩。その間も親子連れや老夫婦など老若男女がひっきりなしに訪れていた。ウメ子は63歳(推定)で亡くなったから、小田原の人たちの多くは小さいころから彼女に親しんできたことになる。
その後、お城の裏にある小さな遊園地の方を回って、お弁当を買って、海へ。この時間が止まったような遊園地には、驚くような料金の乗り物系の遊具が充実していて、ミニ電車みたいな乗り物には長蛇の列ができていた。
ここの海はいつ来ても美しい。わが子は目を覚ましていて、初めてまじまじと海を見た様子だった。
その後、帰路に着き、早くにうちに戻ってきた。その夜、初めての海の印象が強烈だったのか、それともちょうど3ヶ月の月齢あたりで出るといわれる原因不明の泣き、コリックだったのか、これまでにない強烈なぐずり方をした。
翌日午前中はひとりでフリマへ。午後に、どうもわが子の体が熱いと思って体温を測ると37.5度を超えていた。発熱は下がらず、夜8-9時ごろには生まれて初めての38度台に突入。とくに風邪の症状もなかったため、原因が思いあたらず、救急の小児診療所に電話すると、今晩は様子を見るようにとのこと。夜中も1-2時間おきに体温測定。結局、夜遅くから体温は下がり始めて、朝には通常の体温に落ち着いた。ただ今度は若干目やにが。これも生まれて初めてのこと。
フリマ戦利品のLegoのゾウの乗り物は、ウメ子と命名。
2009年9月21日月曜日
駒場

二日連続で駒場に行った。
最初の日は、日本民藝館で待ち合わせをして友人の3人家族と会った。
うちからは乗り換えの下北の駅にエレベーターがないということで、東北沢からちょっと歩いた。
わが子よりちょうど1年お姉さんのNちゃんは、前回、7カ月ぐらい前にあった時と比べて、本当に大きくなっていた。前回は、まだつかまり立ちはするけれど、歩くか歩かないかという状態で、体型もコロンとした赤ちゃん体型だった。それが今回は、顔が小さくて手足が長く、かなりすたすたと歩きまわり、目についたものをかなり片っ端から口にし、意思表示がはっきりしていて、赤ちゃんというよりは少女。お母さんが口にした言葉をきちんと真似しようともする。フルネームで名前を呼ばれると、「はい」という万歳ポーズもとれる。成長の速さに本当に驚いた。
翌日、再び駒場へ。今度は相方と。昨日とまったくおんなじルートで東大のキャンパスの中を散策しつつ、昨日見かけた砥部焼のusagiyaというお店に入る。取り皿2枚購入。昨日、民藝館を見た後だったからなのか、このシンプルで厚みがある磁器にとても惹かれた。砥部とは愛媛県のまち。11月の最初の週末は秋の砥部焼まつりがあるらしい。非常に行きたい。。。。同じく昨日見つけた靴等が安いお店にも立ち寄った。ビルケンのサンダルが3000円ちょっとから! けれど、サイズやデザインが合わず結局購入せず。
二日とも東大キャンパスの屋外に設置されていたテーブルと椅子でのところで休憩。キャンパス内には新しい建物が増え、レストランや全国展開のチェーン店の飲食店などがあり、その昔本を借りに来た時とは随分変わっていた。あと気になったのは、ヒップホップ?のダンスサークル?の学生が随分多いこと。キャンパス内には、我々のような赤ちゃん連れから中高年の団体までが多くいて、公園のような雰囲気だった。
2009年9月16日水曜日
確率

子どもができるということで折々考えさせるのが、確率の問題。
確率って、いかにも正確な客観的情報で、とても有用だけど、あることが生じる確率は、100%か0%でない限りは、誰しも起こりうる可能性があるし、また起こらない可能性もあるということで・・・0.1%だったとしても、1000人のうちの1人にあたってしまう(あたることのできる)かもしれないということ。
最近はヒブワクチンの接種に関連してこのことを考えている。
ヒブワクチン。接種しなきゃと思ったのがつい先日。そして最寄の病院に問い合わせると6ヶ月-1年待ちといわれた。ちょっと調べてみると(ヒブワクチンとググって最初に出てきたページを見た程度だが)、ワクチンが未認可だったときの日本では、年間約600人の子どもがヒブによる髄膜炎に罹り、その約半数は生後6ヶ月から1歳で、かかると5%が死亡、20%前後に重い後遺症が残っていたと推測されるということだ。2007年にはほぼ109万人生まれているので、ものすごく単純に考えてみると(この計算は厳密には不正確だろうが)、0.01%にヒブによる死亡もしくは後遺症が生じることになる。それって1万人にひとり。。。。
ワクチンが不足するなか、診療所より総合病院のほうが、分配数が多いということで、総合病院に問い合わせると、2,3ヶ月待ちといわれた。でもまずは、一度小児科にかかり、説明を受けないといけない。しかもどうやらその説明の中には、このワクチンが日本ではBSEに関連して危険とされる牛の部位を用いており、理論上はリスクがないわけではないから、それを承諾した上でないといけないらしい。病院に行って、新たなウイルスをもらってくる可能性だって高いだろう。
思い返せば、わが子がまだお腹の中にいた最初のころは、高齢出産ゆえに、正直、先天性の異常(異常という言葉はどうかとも思うが)が怖くてならなかった。結局、出生前診断となる羊水検査等は受ける決断ができないまま時がたってしまったが、例えば30代後半の女性がダウン症を持つ赤ちゃんを出産する確率は大体300分の1強という説明があった。それって、1000人に3人。。。
ヒブによる後遺症や死亡とダウン症として生まれてくることではまったく意味合いが異なる。とはいえ当然のことながら、「普通に」発達して、健康な方がいいと考えれば、いずれもわが子に生じることを敢えて望む親はいないだろう。ではそうした事態を未然に防ぐにはどうすればよいのか、また未然に防ぐことは何を意味するのか、あるいは新たにどういった事態を引き起こすのか。。。
親としてどのような行動を取ることで、わが子のよりよき生に責任を取ることができるのか、なかなか悩ましい。実際に、将来、どんなことがおきるのかなんてわからない。
先々週末に会ってきた日本最高齢のゾウ、ウメ子が死んだ。。。本当に悲しい。画像は、先々週末のウメ子。
登録:
投稿 (Atom)






