2009年12月26日土曜日

誕生日


今日は12月25日。クリスマス。
欧米圏やクリスチャンの人たちにとっては家族や親族と過ごす特別な日だと思う。

わが家といえば、相方の誕生日がたまたまその2日前の天皇誕生日なために、この日にすべてまとめて本当にささやかなお祝いをした(とはいっても天皇誕生日を祝えていたかは不明・・・)。

当日は、来客は私の妹1人だけだったけれど、相方本人が料理を準備しホストになるという(ここだけヨーロッパ)方式で(笑)、本人はてんてこ舞い。本人の強い希望で、初めてチキンを丸ごと焼いた。それと土鍋でカレーピラフと抹茶ロールケーキ(すごいとりあわせ。これは日本式クリスマス)。土鍋から煙が噴き出したり、チキンが少しだけ生焼けだったりしたけれど、初めてにしては健闘した相方。

誕生日としては、相方にとって新たにひとつ増えた歳の話はタブーらしいが、クリスマスとしては、初めてわが子を交えて祝う年となり、新鮮な思いだった。

探してみるとわが家にはクリスマス関連の絵本が3冊あった。聞いちゃあいないわが子に読み聞かせる名目で、クリスマスについてちょっとおさらいした。そこで感じたこと。

*身重のマリアたちの旅、ナザレからベツレヘムまでってどれぐらいの距離なんだろう(実際百数十キロらしい)。
*冬の夜に夫と二人だけで厩での出産、たいへんだっただろうな。
*ヘロデの王の、2歳以下の子供をすべて殺すようという命令、なんと恐ろしいことか。

初めて母親になってみて、クリスマスもまた、これまでとは違う気持ちで過ごした。
とはいっても何事もない普段同様の一日だったが。

・わが子、DPT2回目を接種。泣く間もなく終了。
・鼻水は相変わらず止まらず。
・咳は、加湿器を購入して夜間に使うようになり、軽減したと思う。
・母親の姿が見えなくなると狂ったように泣くことが出てきた。
・保育園のお迎えに行った時、床のカーペットの上でお座りしてほかの子たちと一緒におもちゃ遊びをしている光景を目撃。ちょっと前までそんなことできなかったのに。
・25日の夜、生まれて初めて一度も起きず朝になった。

さて寝るぞという一日の最後に、左のコンタクトレンズを洗面台で紛失し、どうしても見つけられなかった。普段なら徹底して探すけれど、わが子が絶叫し続けるなかで、あまりの極限状態に断念・・・





2009年12月21日月曜日

暴走するわが子

送信者 2009_1218fuji

先日、久しぶりに動画をアップしようとしたらできなくなっていて、どうやら直接の動画アップのサービスは以前から終了することが予告されていたらしい。それで、なんとなく不安を感じながらも前回、youtubeデビューし、今日はもうひとつの簡単な方法とされるpicasaのウェブアルバムを使ってみた。この写真はクリックすると、動画が見られる。うーん。。。
youtubeのほうがわかりやすいかも。

このところわが子はずっと鼻水がひどく、数日前からは時折結構苦しそうにせき込むことも出てきた。しばらく保育園を休んでいたが、昨日晩には38度台の熱が。しかし発熱も数回目の今回ともなると、不安は不安だけれど、「一晩様子を見よう」ということを当然のごとく受け入れられる。そして、数時間後には発熱はおさまった。

わが子、ひどい鼻水に熱があってもとにかく元気で、自分に100%の関心が向けられていないとワーキャーと駄々を捏ねる。強烈な脚キックで地団太を踏む。私も風邪気味に加え、金曜日に頭痛で一日寝込み、やっと快復してきたのに、昼夜を問わないワーキャー攻撃に辟易する。こちらも怒って、「いい加減にしなさい!!!」と怒鳴ると、にやーと笑ったり、そっぽを向いて「私知らないわ」という顔をする。

「なめんなよ、わが子!!!!!」

せっかく無限ループの体調不良から解放されつつあるかなと思っていたのに、また元に戻っちゃうよ。すごい抜け毛が止まらないなか、ただでさえもとから薄毛の私の髪を力いっぱい引っ張って引き抜くし。

「ざけんなよ、わが子!!!!!」

そういえば、ロングセラーの『いやだいやだ』の絵本に、ルルちゃんがなんでもいやだいやだっていうと、「それならおかあさんもいやだっていうわ」「いくらよんでもだっこしない」というフレーズがあり、まあ随分とひどいお母さんね、とおもってたけれど、今ではうん、よくよくわかりますその気持ち。。。


数日前から、四つん這いになり上体を左右に大きく揺らすようになった。しかしお腹を浮かすことがなかなかできず、前進もない。
上顎の右前歯がうっすら白い頭を出し始めた。

動画は、紙に執着するわが子、その2。

2009年12月14日月曜日

ここのところのこと

ヒブ
先日、ヒブワクチンの説明を聞きに、出産した病院の小児科に行った。千代田区にあるので行くのに一苦労。特にJRのお茶ノ水駅は、近隣に大学病院だらけなのにもかかわらず、エレベーターやエスカレーターが一切ない。
ヒブワクチンは一度は、待ち時間、コスト、後遺症の確率を考えて断念したけれど、やっぱり接種することに。以前、検討中だった時、比較的近所の総合病院では、待ちが2カ月程度と言われて、安心していたが、先日再度問い合わせるといつの間にか、来年の4月ごろと言われた。さすが保育激戦区、恐るべし。子どもが多い。


10時間睡眠
最近、わが子と一緒に寝てしまう。わが子は相方にお風呂に入れてもらうため、赤子にしては遅めの時間に入浴し、その後就寝。私も寝る直前に入浴派。いつも、(なぜか)私が一番風呂で、その次相方が入り、準備万端にして、お呼びがかかると、私が我が子を風呂場に運び、再びお呼びがかかると、受け取りに行くという手順。でパジャマを着せると、そのまま二人でベッドで寝てしまう。ふと気がつくと、最近就寝時間は22時台だったりすることが多い。くわえて、冬になり、朝の日の出の時間も遅いため、毎日単純に計算すると10時間近い睡眠をとっていることになる。


しかし・・・
最近、12時から3時すぎまでに魔の時間帯がある。1~2時間おきに大泣きするのだ。いわゆる夜泣きなのかよくわからないが、目をつぶって泣き続ける。試行錯誤の結果、対応策はおっぱいに落ち着いてしまった。 泣き声で起きて、まだ12時台だと絶望的な気分になる。その次は1時半、何故?!という気分になる。そして3時、ため息が出る。いつの間にか、標準よりもかなり大きめサイズに成長したわが子。座って抱きかかえていてもかなり重たいし、脚がつっかえる。普段はそれでも朝方にはまとめて寝てくれるのだが、今日はさらに6時にも泣かれた。あまりに頻繁で、私の方がすぐに寝付けないこともでてきた。うえーん。こっちが泣きたいよ。

ご飯3杯、食後に食パン2枚
最近、異常な食欲だ。相方はかなりの大食漢で、あれば食べてしまうという動物的本能の持ち主。料理のレシピの4人分は、我が家ではほとんど2人分にしかなってないということに最近気づいた。
しかし最近は私の方にその相方も霞む異常な食欲が出ている。パスタやカレーも男子学生の大盛り!!見たいなふざけた量をぺろり。先日は、普通のおかずを食べる前に、衝動的にご飯3杯と納豆3パックを一気に平らげた。また一昨日は、その大盛りパスタを食べた後、さらにジャムとバターつきの食パン2枚を平らげた。驚くのは、こうした食欲に加えて、これだけ食べても全く太らないことである。それどころか、「やせた?」といわれたりしている。そういえばここ2週間ほど離乳食が中断したままだ。もうそろそろ、我が子の栄養が私を介してのみ摂取されるのは、合理的ではない模様・・・


ビニール袋と新聞紙
保育士さんにも言われたが、最近お座りの姿勢で、おもちゃなどをつかんで自分で遊べるようになってきた。 園で、そんなことをできるようになるなんてとちょっとした感慨に浸る(笑)。わが家でも相変わらず、母親が視界から消えたり、自分に関心が向けられていないと、絶叫したりするものの、「あれ、泣かないの?」と思ってわが子を見るとひとりで遊んでいることも増えた(と言っても束の間の時間ではあるが)。
そんなわが子、フリーマーケット戦利品のなかなか悪くないおもちゃを大量に所有している。お古だけれど色どりの美しい外国製の木製玩具等々。しかし最近のお気に入りと言えば、ビニール袋と新聞紙なのだ。スーパーの袋の触るとカシャカシャという音、そして新聞のカサカサという音(?ではない気もするけれど、どんな擬音語なんだろう・・・)と口に入れると次第に変化する触感がいいらしい(まさかインクの味ではないと思うのだが・・・)。一応、取り上げるものの、せっかく楽しそうにしているので残念に思う。
いくらなめても安心なビニール袋と紙が欲しいと思う。

写真はお手製の帽子とスタイを(無理やり)着けられたわが子
昭和の東北地方の健康優良児のよう。。。

2009年12月10日木曜日

6ヶ月―ここのところのこと

週末にわが子6ヶ月を迎えた。71センチ、8.5キロ

6ヶ月記念にと、百均ショップに設置されたプリクラに行ったわが家(わたしの発案だが)・・・・
プリクラ、別人に写る。10歳ぐらい若く、目はピカーン、ぱちーん、お肌すべすべ、いつの間にかすごい茶髪。面白い。

この半年。短いけれど、毎日授乳・おむつ替え・あやしの無限ループという一見単調な日々を送っていたけれど、激動の日々でもあり。
特にここのところの表情や動作の成長っぷりはこれまでになく著しい。
 座ったままの姿勢を長く維持し、その間手を上に伸ばしたりしながらおもちゃを取れるようになった。またちょっと目を離したすきに、二つ折りにした敷布団からはみ出てあらぬ態勢になっている。思い返せば、最初は座布団に寝かされていたんだよなあ。

内と外がより明確に。外では、大人しく、またにこやかに対応。家では、ちょっと近くを離れると絶叫したり、父親の髪をつかんで、顔にけりを入れたりしている。誰に、甘えていいのかを熟知している。ちなみにわが子から最も横暴が許されているとみなされているのは、お父さん。

先週、おまるで初シーシーに成功した。成功というのは、わが子がそうできたというよりは、我々がわが子をおまるに乗せたときが、わが子のおしっこのタイミングと偶然一致したということのよう。その後、進展なし。

週末に九州から母が来た。孫を堪能して帰って行った。

某巨大ネット販売会社から q-tip のkamaal the abstract を購入。特にいつもフォローしている人ではないけれど、この9月にアルバムが出ていることを知り、試聴して、感激。これは買わねばと即決。輸入版だと日本版より1000円も安く、しかも送料無料。加えて、当日到着という特急便の特典もお試し期間中。朝注文して本当に18時ごろ来た。CD屋さん、太刀打ちできないよなあと思う。

わが子、母ちゃんが時にナポリ民謡で、時にQ-tipで(今回のアルバムは実験的なので踊りにくい)、空の哺乳瓶に鈴を入れたものを振りつつ踊るのを見て、喜んでいるのだが、どう育っていくのだろう・・・ とりあえず、できるだけBBCのラジオ放送を聴かせている(笑)


画像はおばあちゃんとわが子。

2009年12月1日火曜日

ここのところのこと―臥せる・起きる

あっという間に過ぎた1週間。
相方が、せきやのどの違和感を訴えていて、そういうことは非常に珍しいために心配していたら、いつの間にか自分の方が・・・
一昨日あたりから、3人みんなでけほけほ行っているわが家。相方とわが子はそれでも元気らしい。


木曜―hodo-hodoさんに砧公園でお会いする。とてもリラックスしできました。まめちゃんの衝撃シーシーシーンも目撃!!シーシーでおしっこできる5ヶ月赤ちゃんて天才では?!?!?!

フリーマーケッター(? )の私、先日の戦利品、BOSEのパソコン用スピーカーを接続し、わが子にインターネット経由のBBCラジオを聴かせて、自己満足に浸る(笑)。その前には、南部イタリアの音楽ラジオに接続し、民謡に合わせて踊って見せたら、わが子がうけて笑った。

金曜―昼前からひどい頭痛。あわてて、どうにかわが子をお迎えに行き、その後、臥せる。2ヶ月ぐらい前だったか、目の炎症が出てからずっと眼鏡だったが、この眼鏡、活字など、近い場所をみると、頭痛が生じることを忘れていた。。。まあ、それだけ近い場所(活字)は見ていなかったということか。。。

土曜―近所の無印良品のカフェでお昼を食べる。頭が治ったばかりで、脂っぽいものでお腹がもたれるのは嫌だという私の意見で、ここに決まったものの、ふたりとも量が足りておらず、気がつくと無印のスナックを2袋も買ってぼりぼり食べ続けていた。。。

日曜―午前中、バスに乗ってひとりでフリーマーケットに行った。いくつか戦利品あり。夕方から体調不良 。夕方、熱を測ると発熱。夜間には39度近い熱が続いた。

月曜―朝方若干下がったので、そのまませきがあったわが子も巻き添えにして、一緒に寝続ける。午後、再び熱が上がりはじめたので、抗生物質と解熱剤を服用。薬が効きすぎるので、錠剤を4分の1にして服用したら、さすがに効かなかった。その後2分の1服用×2回。発熱おさまる。

夕方、親とスカイプをしたときに、九州にいる母が、わたしたちが東京にすんだ方がいいのかしらねえ、とぼそっと言う。母には非常勤であれ、せっかくの仕事を失ってほしくないと思う。これに対して、正直、父については定年退職後、 生きるための指標を失っている感が強い。また、実は父の方が子どもへの対応には向いているのではと感じている。
少なくない保育料を払って、親の自分がどことなく満足を感じられない状態と、その満足を感じられない面についてはおそらく満足はいくが、また異なるいろんな問題も生じそうな、祖父母による子守。悩ましい。

火曜―抗生物質のみ2分の1服用。大体のところ、体調回復。 今回と同じ症状が出て、一段落した時にかかった内科に行く。結論は今回もやはり、現状では、やることがないとのこと。相変わらず学術的説明がたくさん。おもしろい。しかし、私の症状に関しては、抗生物質を2-3回服用して治るぐらいでは、高齢出産の育児疲れから来るなにか、としか言いようがないらしい。



わが子、最近お座りの姿勢が比較的長く続けられるようになった。また寝返り自主トレも再開。
昨晩は、寝室の電気の点・消灯の紐を長くして、さらにその先にガーゼハンカチをつけたものをひっぱり、とうとう点・消灯に初成功!今まで、このハンカチをつかんではいたが、引っ張り方や、力が足りずにいた。
髪の毛もうっすら濃くなったように。。。

2009年11月24日火曜日

人に会いに行く


前の週の後半は人に会いに行くことの多い楽しい1週間だった。
木曜も、金曜も、土曜も、日曜も。
最近は、保育園の送迎の際ぐらいしか外出せず、且つ人と言葉を交わさないことも多いので、うきうきしていた。(笑)

初めてお目にかかって、お話しする方もいれば、旧知の友人たちとの再会もあり。

このうち、誘ってもらった友人のお姉さん宅でのホームパーティーは、夜7時から、それもうちから2度は電車を乗り継いで1時間はかかかるであろう場所であるというものだった。夜の時間帯、お酒、インフルエンザ、交通機関の乗り継ぎなど、わが子をめぐってあまりに障壁が多く、諦めかけていたが、最終的には、相方に託すという選択肢も捨てて、わが子持参を決行!
何度も電車の時間をチェックし、二つ目の乗り換え駅の日比谷駅で利用する路線にエレベーターがあることも確認したつもりだった。

しかしながら・・・
確かに、それぞれの路線にはエレベーターがあったものの、乗り継ぎの長い地下道には階段が存在した。駅員さんに訊くと、階段前で待つように言われ、ベビーカーを一緒に運んでくれる他の駅員さんを手配してくれた。その後も、エレベーターを利用するために回り道をしたりで、お宅についたのは、結局1時間半後。

そのお宅のあるマンションは、ものすごい高層ビル。部屋番号が4桁だったので、どういう仕組みになっているのかなとうすうす疑問に感じていたが、ついてみて発覚したのは二桁の階だということ(それも10階とかではない、20階とかでもない・・・)とにかくすごいと言う形容しか見当たらない、ビルの規模と、高さと、窓の外の夜景と、素敵なお部屋だった。わが子は、くちぐちに「おとなしいいい子ね」と言われるほど、愛想良し。そして本人の風貌はおろか、名前を言ってもなお男の子と間違われるという初体験。今までで最強。。。

気がついたら夜9時半、最寄りの駅まで送ってもらいふと時計をみると11時、さらに家に着いたのは12時過ぎ。帰りの日比谷駅の問題の階段は、すでに駅員の対応が終わっているとのことで、その場に着くと途方に暮れてしまった。とにかくのそのそとベビーカーをたたもうとしたその矢先、若い女の子が声をかけてくれて、ふたりでわが子の乗ったベビーカーを運んだ。

そもそも週末の夜にベビーカーで赤ちゃんと母親の二人で公共交通機関を使って外出というのが無理に無理を重ねてしまったというのが感想。また、もうちょっと誰か助けてよ、というのも正直な感想。そういえば、以前うちに遊びに来たフランス人のおじさんが、飲みに誘ってくれた時、子どもがいるからと私が辞退すると、「ベビーシッターは?」と言ったけれど、我が国では私のような普通の庶民は、自らの娯楽的夜間外出の為にベビーシッターを頼むという文化的、経済的基盤はないと思われる。(笑)

久しぶりに友達と会えたことに対して、楽しいと思う気持ちがとにかく強くて、裏を返せば、そんなにそういうことに飢えていたのかなとも思った。やっぱり、近くに気があって、気を使わずに、お酒を飲みつつ楽しい話ができる友人がいるということはとても重要だ。(笑)

そのためにまずしなくてはならないことは、
まず、近くにそういう友達を作ること。
次に、うちの中を人が入れるぐらいきれいにすること。

最後の休みの日は、近所の公園に行った。半額になっていた土鍋(5~6人用)を買った。

2009年11月18日水曜日

ここのところのこと

旅から戻ってもうすぐ2週間。
わが子がやってきてからの時間の過ぎ方は、1週間がまるで1日のように、1カ月かまるで1週間のよう。とにかく恐ろしく速く過ぎていく。しいて言えば、時間の過ぎ方が速いというよりは、気がつけば過ぎている。日頃から、時間の過ぎ方(に対する感じ方)は加齢とともに加速するように思っていたので、私の場合は一体何倍速になっているのだろう・・・・

・自らわが子の顔を絵付けした皿が到着。可もなく不可もなく。水を加えて、濃度を調整するとのことだったが、焼きあがってみると今一つうまくいっていなかったようだ。来年に向けて、絵付けに使った釉薬?の濃度について少し学べた気がする。(笑)

・わが子の離乳食の食べ方がすごい。最初は一日ひと匙づつ、などと書いてあるのを見て、のけぞった。であればいまごろはまだ1日4~5匙づつのはず。だけれど、彼女は既に、1日2回、碗に2杯を一気に平らげている。匙で与えようとすると「しゃらくさいわ!」とばかり、口を碗に直接つける。結局、私は彼女の口に椀から離乳食を掻き込む係になっている。

・その離乳食だが、母乳は甘いので、できるだけ抵抗のないものをと思い、りんご、さつまいも、柿を加熱しペースト状にしたものから始めた。しかし、あまり甘さに慣れてはいけないと思い、先日、フードプロセッサで煮干しと鰹節を粉状にし、それでだしをとった。そのだしスープに、人参と大根のすりおろしたものを加熱したものをくわえるという、個人的には相当手の込んだことをしたつもりが・・・・一口口に入れた途端、ひどく顔をしかめてペエエエッとされた。腹が立ったので、私が完食した。やっぱり急にだし味はだめらしい。いまのところ、驚くほど甘い柿ペーストを少量加えて甘さを調整しながら、少しづつ甘みを減らしているところ。

・最近わが子が夜中にぐずり始めた。目を閉じながらぐずる。空腹とは異なる感じで、おそらく夢でも見ているのではないだろうか。おっぱいだけではおさまらないので、夜中に抱っこしたり、「起きて、起きて」と訴えたり、ちょっと大変になってきた。私、再び睡眠不足気味に。その代わり、日中に寝る時間が増えたように思う。
 
・読み聞かせ開始。フリーマーケットや、近所の図書館のリサイクル本をメインに随分収集した。以前から自分で持っている何冊かを除いて(引越してから段ボールに入ったまま所在不明)、数えてみたら77冊になっていた。しかしながら、わが子、読み聞かせてもさほど聞いていない。絵本の角を口に入れて味わってみることがもっぱらの本への関心。


・今日、近所の児童館の身体測定に行くために、少し早くお迎えに行った。ちょうど2歳児からのクラスが外のお散歩から戻ってきたところで、男の子が一人だけ泣いて、残っていた。そこに男性の保育士さんが一生懸命なだめている。要はこの子、ロープを持って一列に並び、皆と一緒に歩かなくてはいけないのを、手を離して勝手に歩いて他の保育士さんに怒られたらしい。その男性の保育士さんは男の子を抱きながら、ロープを離して歩いたらいけないのは、まだきちんと歩けない他の小さい子が真似するからだと言っていた。なるほどねとおもった。危ないとか、迷子になるとか言うよりも、本人の自尊心を尊重する言い方。

2009年11月13日金曜日

離乳食・病院・保育

本日曇天。肌寒くて、いつのまにか木々が紅葉していたり、落葉していたりするのに今更ながら驚く。


離乳食
最近離乳食を始めて、ほぼ毎日続けている。このところはりんご1個をすりおろしたものを煮たものがずっと続いていた。それで今日は、柿のみじん切り&すりおろしたものを煮たものにさつまいもをレンジでふかしたものを潰して入れてみた。液体に近い状態にするため、沸騰させたお湯で適当に溶く。柿は柿渋?がよくないとか、体を冷やすとか書いてあったのだけれど、強行。りんごに慣れていたので、かなり異なる味と食感にちょっと驚いていたけれど、わが子は、でろでろ吐きながらも食べていた。スプーンへの食いつき方が非常に積極的。食べたいのはスプーンの方なのかも。下の前歯の右側がほんの少しだけ頭を出している模様。噛まれると痛い。



・病
今週は病院週間だった。。。

背中や顔に赤い斑点が出ることがあり、皮膚の赤みだけに見えたので、放置していたのだけれど、保育園の検診のときに、「どうしたの?」と言われ、気になるようになり近所の小児科へ。以前にそこはアトピーに強いと聞いていたので、行ってみたのだけれど、何なのかもはっきりと言ってくれないうえに、またひどくなったら来てと言われて、3か月前に乳児湿疹出かかったときとまったく同じ薬を処方された(それはほとんど使わずに終わったのだが)。

釈然としないものが残ってしまったので、翌日、評判だと聞いたことがある皮膚科に半信半疑で行く。女医さんは、すぐに簡単な診断を下し、薬を処方し、また数日後に来るように指示。薬の処方を言われたときに、気の進まない顔をしていた(らしい)私に、「あら、あまり納得のいっていない顔ね」とばしっ。内心「こえ~~」と思いつつも、昨日のことを少し話して、処方された薬の名前を言うと、「あ、それは○○さんね」と小児科名を軽く断言。ステロイド系の薬もあったため、不安だったのだが、薬局でも薬剤師さんに、「早いうちに治しておいた方がいいです」と言われ、意を決して(大袈裟)軟膏2種(強めの抗炎剤と下地)を塗り始めた。2日後に再診するように言われた。

この翌日は、保育園の検診の為に近所の小児科へ。異常なし。それにしても不調もないのに、最近の小児科に行くことは自殺行為らしい。待ち時間がとても長く感じられた。その小児科の下の階にある整形外科にもかかる。これは私。7年前にした膝の手術あとのところに大きなグロテスクな内出血ができていて、あまり痛くもないし、打った覚えもとくにない。それほど心配はしていなかったものの、相方が「手術した骨の内部から血が染み出しているんじゃないか?」と恐ろしがり、行くことに。

結果、レントゲンもとってもらってみてもらったが、よいコンディションではないけれど、今のところは特に処置を必要とする状態ではないし、その内出血も手術の原因とは無関係と言うことで一件落着。「打った覚えはないんですか?」「いや~、特に覚えていないんですけれど、子連れで旅行していたので、その時に打ったのかもしれませんが・・・」(私)。この私の回答に対して先生はひと言、
「お酒を飲まれてたんですか?」と。。。。。
「いえいえ!!!」と強く否定したものの、あと考えると、その可能性は確かにあったようだ。。。。

 そしてさらにこの翌日の今日、3日間軟膏をつけていたわが子の肌は、赤みもだいたい引き、恐ろしいほどつるすべもっちもちに。本当に完璧。今朝、再度診察してもらったら、検査も必要なくなったらしく、一番強い薬は使用終了。その下地の薬は回数を3回→1回/日に減らして、残っているものを使用継続、そして新たに保湿剤が追加され、それをメインにするように言われた。さらに、私が軟膏を頭に塗りにくいと言うと、ローションを処方された。

◎わが子の皮膚科の件では、医師/病院によりどれだけ対応が違うかをまざまざと見せつけられた。相性の問題もあるだろうが、有能な医師ほど、強い薬も使いこなせて、治療も短期間で終わらせることができるのかと感じた。よい皮膚科を見つけて満足。


◎ 日本の医療が恵まれていることを感じた1週間だった。国の赤字の根源だけれど。ごく普通の国民の私が、あまり躊躇もなく、診察を受けることができるのは有難いと思う。特にわが子に関しては薬剤の含めてすべて無料である。ただ個人的には、これはありがたいを通り過ぎて、やり過ぎだと思っているのだけれど。せめて、1割は負担していいと思う。その代わり保育環境を改善せよ!!!!(笑)

長くなったので、保育についてはまたの機会に。。。

写真:旅行中。言われてみれば、ここに立ち寄った後、どこかに膝をぶつけていたかもしれない・・・・
先生、その診断も的確。

2009年11月9日月曜日

初めての旅行-メモ


我が子初めて旅に出た。もちろん一人旅ではないけれど。。。
2泊3日の愛媛への旅。目的は砥部焼き祭りに行くこと。
旅行には関心のないほうだったけれど、普通の観光旅行が今回はとても楽しかった。そして疲れた。
我が子も、初めての飛行機やホテル、温泉など初めてのことをいろいろ体験した。
赤ちゃん連れの旅行で大変だったことや気付いたことを忘れないうちに簡単にメモしよう。

●移動●
自宅→空港の電車
平 日の朝7時過ぎに家を出て、電車を乗り継いで移動。空港までは1時間ちょっとの予定。通勤時間帯と重なるため、相方がわが子を抱っこひもで抱っこ。+スー ツケース一つ。わたしはベビーカを折りたたんで持つ。+バックパック1つ。やはり通勤時間帯は車内の人が多いので、つらかった。
また帰り は、日曜の夕刻だったので、ベビーカーにわが子を乗せて移動。車内が混雑していなかったので思ったより支障はなし。しかし、買った砥部焼はすべてスーツ ケースに入れて持って帰るという暴挙に出たため、荷物が重く、加えてエレベーター探しとそのための迂回が続き、結局行きと同じ行程に2時間かかった。。。  

飛行機内
やはり大変・・・離陸・着陸時にぐずるのが一番怖かったのだけれど、これは寝ていたり、またスリングをかぶって授乳したりで思いのほか支障なし。しかし、飛行中せまい機内でかなりぐずった。これが10時間のフライトだったらなどと考えると。。。。

旅行中の交通機関
バ ス、市電、JRの特急+普通列車にベビーカーで乗ったけれど、特に問題はなし。でもこれも最終的には混み具合が問題になると思う。今回、それぞれの交通機関 の座席では、わが子を乗せたままベビーカーをわきに置かせてもらったり、授乳やおむつ替えも必要となったので、そういうことができる状況か(周囲の状況+ それをやる我々の気構えもしくは勇気?!)が最も肝要。 
市電の運転手さんたちは、ベビーカーを下すのを手伝ってくれたりと皆さんとても親切だった。


結局、持っていくかどうか迷ったベビーカーは思いのほか活躍して、持っていってよかったと実感。今後、もっと体がしっかりしてきたら、より軽量で簡易型で携帯しやすいものだとなおよいとも思った。

●食事●
わが子は今のところ母乳一本なので、要は、スリングでもかぶって、どこででも授乳さえできれば問題はない。


しかし問題は、私たち。今回感じたのは、よっぽど、爆睡したり、機嫌のいい時でなければ、お店の側で赤ちゃん連れが可能でも、やっぱり食べ た気がしないということ。私はそれほど食にこだわりがないので、第一日目に地元のお寿司屋さんに行けたほかは、スーパーのお弁当や駅のうどん屋さんでも問題はなかった。けれど、ここにこだわりたければ、やはり、事前の綿密なリサーチとその時の赤ちゃんの状況という運の両方にかけるしかないと思った。二日目 の夜に、何も調べていなかったばっかりに、夜の歓楽街を歩き回ることになり後悔した。その挙句に入った定食屋さんでは、おばちゃんが、わが子を抱っこして あやしてくれたりして、親切にしてもらったのだけれど。


結論:5か月のわが子連れの旅は、いろいろと大変ではあったけれど、思ったほど行動は制限されなかったように思う。むしろ、わが子がいたことで、親切にしてもらったり、楽しいこともいろいろあった。ただ、ご飯を食べることについては、やっぱり大変かなという印象。


そうそう、砥部では、絵付け体験までしてきた。お皿にはぐずるわが子を相方に抱っこしてもらいわが子の顔を描いた。2週間後に送られてくる完成品が本当に待ち遠しい。この先こうした親馬鹿ぶりが加速しそうな私である。

2009年11月5日木曜日

ここのところのこと


●週末の高熱は無事下がったけれど、相変わらずかなり重度に鼻ずるずるなわが子。

●保育園には今週いっぱい休園を伝えた。何故って、金曜日からは初旅だから。万全の態勢で挑まねば。

●一番近所にある小児科へ行く。ここの女医さんは、保育園の検診担当。旅に向けて、念のため鼻水・痰の薬と解熱剤の座薬をもらう。先生の説明は丁寧。少し待ったのだけれど、そもそも体調がおかしい子が集まるのが小児科なので、この場自体が相当リスキーだと改めて実感。そういえば、我が子が高熱を出す前日に保育園の検診漏れのために、ここに来たんだった。高熱はそのせいだった?!?!?!

●ここのところ、母とスカイプをしたり、用事で電話がかかってきて少し長い子と話していると、わが子が泣いて怒りだすようになった。
泣くと言っても、悲しいからではない。完全に「自分はここだ!なぜ自分に関心を向けない!!!」という抗議のサインである。だから涙はほとんど出ない。

●また、テレビがないわが家。わたしがみつづけるyoutubeの画像に関心を示すように。そして、先日から母がつけたカメラでお互い相手の映像をみながら話ができるようになったのだが、母の顔にも若干驚きながらも関心を示し、、抱かれていると顔をそむけてもじもじしたりするようになった。
人見知りか?!?!

●隣町の「お出かけ広場」に身体測定に行く。着衣込みだと8キロを超えた。身長は68.4センチ。

●相方がマイケルの映画を見に行った。いっしょに見に行った親友の方のお子さんのお下がりを頂戴した。うちでは、初ベビービョルン!(笑)(写真)

2009年11月2日月曜日

39度

ここのところ、ずっと鼻水がひどかった我が子。保育園を1日休み、翌日、相変わらずずるずるだったけれど、ハロウィーンの為にコスプレして登園した。



心配だったから熱も測っていたけれど、発熱はずっとなかった。一昨日は、私のほうが鼻水がひどくなって、喉も痛み出したので、わが子からうつされちゃったかなと心配していた。

そんななか事態は急展開。

夜 9時前、わたしたちが遅めの夕食を摂ろうとしていたところ、目を覚ましたわが子。おっぱいをやろうとして抱きかかえると、頭が異常に熱い。体温を計ると、なんと39.1度!!!これまで一度だけ発熱があったけれど、それでも38度にいくかいかないかだった。 あわてて区の小児用の緊急対応の場所に電話。そうすると、そこは9時半までだから、あとは救急医療機関に行くしかないと言われた。

幸い、うちから歩いて10分ほどのところに、おそらく専門性や規模で、全国一ではないかと思われるほどの子どもの為の国立医療機関がある。そこに電話して、直行。さすが専門機関だけあって、すべての外来救急患者を受け入れているが、トリアージを通す。少し待って、女の若い先生に診察してもらった。熱で、いつものような元気はないものの、相変わらず愛想の好いわが子。結果、特に目立った症状もないし、機嫌も悪くないので、朝まで様子見とのことで帰された。

うちに戻ったのが夜11時ごろ。それから朝まで1~2時間おきに、体温を測りながら、わが子が目を覚ますと授乳した。苦しそうに息をしながらも寝ているわが子。このままいつの間にか意識がなくなっていたりなんかしたらどうしようと思うと気が気でなく、眠れなかった。

結局、朝まで39度近い熱が続いた。そこで、朝7時に再度受診。今度は男の先生だった。わが子またもや高熱の中、愛想を振りまこうとする。そのせいで?!、「熱は高いけれど、なんだか機嫌いいね。特に目立った症状もなく、機嫌がよかったら、大丈夫じゃないかなあ」と言われた。39度程度の熱が出ても、ぐったりしたり、引きつけなどを起こしたりといった目立った症状がなければ、発熱だけでは、髄膜炎など、脳に問題が出たりすることはないと説明を受けた。また、保育園に行っているということで、念のためインフルエンザと尿路感染症の検査だけ受けることに。血液と尿採取の為、いったん私たち親は診察室から出された。間もなく、わが子の泣き声が響いたものの、けろっとして看護師さんに抱かれて出てきた。

検査結果が分かるまで1時間弱院内で待機。国立の機関ながら、院内にはたくさんの種類の食べ物がある売店や、おもちゃ専門店まである。おもちゃのお店は閉まっていたけれど、 売店でがっつり朝御飯を買い込み、随分とほっとした気持ちで、朝食をとった。

前日の夜の最初の診察を担当してくれた女医さんは、この朝の診察の時にも見かけた。おそらく、連続勤務なんだろう。高度医療の機関ながらも、わが子のように「ただの風邪」から、本当に重篤な患者まで受け入れなくてはならない状況で、お医者さんたちはどれだけ重労働を行っているのだろうかと思った。ものすごく魅力的な仕事だなと思うけれど、本当に激務だと思う。

また、病院内ではいろんな光景を見た。救急車で運ばれてきたものの、自分で寝台から降りて待合室で待っている子、逆に、トリアージを受けている途中で容体が急変して、意識がなくなってしまいあわてて診察室に運ばれた子、お母さんに担がれて「タミフルなの?」なんて言っている相当大きめの子がいたり。

検査の結果はいずれも陰性。いわゆる風邪由来の高熱だろうということで、診察終了。病院を出たのは午前10時。病院を出る前に体温を測ると、すでに37度台にまで下がっていた。 このころには、待合室はたくさんの患者さんで、いつの間にか一杯に。

外はぽかぽか陽気で抜けるような青空。そんななか、心穏やかに3人で家路につけることがとても有難い1日だった。

2009年10月29日木曜日

・・・番長


わが子は、今朝鼻水がかなりずるずるで、しかも生まれて初めて、噴水のように飲んだおっぱいを吐いた。今週は3日間連続で、連日3~4時間の保育時間だったから疲れたのかも。加えて、昨晩は相方が発明したベッドの上のガラガラ吊るしに、異常な反応を示し、高速ばたばたを続け、うまくガラガラをつかむと狂ったように振り回していたし。

本日休園。私も雑務がちょっとだけひと段落したので、今日は休息日とする。

今朝起きた時、わが子の右目が微妙に二重に。でも今見たらまた戻っていた。女の子らしい顔つきになるのはいつなんだろう?どんなだろう?と勝手に思いを馳せる。

というのも・・・・
最近日に日に俊敏さと、精悍さと、凶暴性を増しているわが子。
先日は写真をみた祖母に、「一休さんみたいでかわいい」と言われていた。確かに似ているが。それはまだよかった。

つい数日前の保育園の面談では、「・・・番長みたいで、来年はリーダーになってみんなを引っ張ってもらわないと」と言われた。肝心なところを聞きそびれた。そして聞き返すことができなかった・・・

「一体わが子は何番長なんだ?!」

また私が、「最年少だし、最初はうまく自分を主張できなかったらどうしようと思っていたのですが・・・」と言うと、保育士さんたちお笑いになるし。そう、わが子、相当自己主張激しいらしいのだ。薄々感じてはいたんだけれどね。。。

2009年10月26日月曜日

今日のわが子―その2



週末は体調不良で外出することができず、予定を2件キャンセルした。
しかし、一昨日から、夜中の授乳が1回だけだ。2回や3回が1回に減っただけで、起床時に感じる疲労感が相当違うことを発見。やっぱり、体調不良の原因は睡眠不足にあるのかも。

ずっと家の中にいたこの週末は、木琴や電子ピアノを引っ張り出して、わが子とともにとても騒々しく遊んだ。というのも最近、わが子は楽器の音に反応するようになったから。そしてなぜか私、「迷子の迷子の子ネコちゃん~」の換え歌をつくって絶叫したり。。。。それから絵本にもちょっと関心があるらしい。でもやっぱり基本は抱っこ。最近は寝返りの苦行も形を潜め、ひたすらわが子にとっての至上の快楽、抱っこを求める。

かまわれないとすぐに怒って喚くようになったわが子だが、放置するのも酷だし、それを避けるためにこちらが頑張ると、それはそれで結局くたくたになる。おまけに昨日はちょっといろいろな音の刺激が強すぎたのか、寝る前にぐずった。しかし、そういう時でも抱っこしたその瞬間に泣き声が止まり、笑みに変わる。怖いぐらいの変貌だ。今日は保育士さんにも、おんぶとか片手抱っこじゃ駄目で、両手をふさいで真ん中で抱っこしてもらうことを好む(裏を返せばそうじゃないと、喚くのだろう・・・)早いけれど知恵がついてきたのかもと言われた。

ここ数日のわが子のブームは、「ぶぶぶぶ」と言うことだ。
私のブームは、youtubeで70年代から90年代までの歌謡曲を聞くこと。

2009年10月22日木曜日

今日のわが子



今日は保育園に約3時間行った。
お迎えに行くと、何やらやたらにご機嫌。
その後、もうすぐ晩御飯の今まで、ずっとこんな調子だった。
わが子は大丈夫なのかと不安もよぎる。
この大丈夫は発達について。

ただこの調子だと、もう保育園では大丈夫だろう。
この大丈夫は集団生活での生きていく術について。

新たなステージに入りつつあるのか・・・
疲れた・・・母ちゃん疲れたよ。

2009年10月21日水曜日

ここのところのこと


早いものでもう10月下旬
10月入ったら取りかかろうと思っていたことはまだまったく手つかず。。。
にもかかわらず、保育園の月末のハロウィーンの仮装はどうしようかとか、来月計画している旅行とかのことばかり考えている。

ここ数日、授乳で真夜中に起きた後、すぐ眠れず、眠れても変な夢をみる。
一昨日は、相方が「あ、UFOだ」と言ったので見ると本当にべたな形の半透明のUFOが数機頭上を通り過ぎてゆき、それから家のそばで戦争が勃発して、逃げまどった。
昨晩は、どういう脈略でかは忘れたけれど、島田紳助が出てきて、デパートの高層階にある書店にいたところ、そこが乗っ取られ?人質に取られてしまい、でも必死で脱出した。
そういえば妊娠中はそんな夢ばかりずっと見続けていた。。。

ところで最近、気に食わないと本当に大声でなくわが子。何の拍子でかは、これまた忘れたけれど、鼻息で一生懸命フーンと息を吐いてみせると、とても喜ぶことを発見。どんなに大泣きしていてもこれで笑顔になる。が、簡単なようでこれは本気でやるとかなり疲れる。それでも抱っこよりははるかにましというのが、私と相方の共通見解。

昨日、先週行った医院に血液検査の結果を聞きに行った。異常なし。ひとつひとつの項目を丁寧に説明して下さる上に、前回、私の保険証のコピーにメモしていたことやこの検査値が、綺麗にカルテに書きこまれているのをみて感動。いや、前回は、てっきり先生はカルテ作る気ないんだろうと思っていたので。。。その他、わが子も連れて行ったので、3カ月から離乳食を始めていいとか、お風呂上がりには人参のしぼり汁がいいとか、女性にしては私の血が濃いとか言われて帰ってきた。この医院、好きだなあ。

ここのところわが子は、寝返りをあまりしなくなった。目下のところの変化は、抱っこしないと一層大きな声で泣くようになったこと。それから今日、保育園で初おんぶだったらしい。うちではまだおんぶ紐がないのでできなかったのだが。保育士さんによると、おんぶはあまり好きではないようで、ずっと後ろでけりを入れていたそうだ。そう、そのけりもものすごく俊敏になってきている。なんとなくひざ下が太くなった気がする。

わが子、髪伸びたらどんなふうになるのかやってみた・・・・・

2009年10月19日月曜日

生きていること

 
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最近、耳にする言葉が少ない。
外で人と話す機会は保育園の送り迎え以外ほとんどない。
わが子が発するのは喃語と泣き声、そして相方は「うーん」という喃語以下の中途半端な相槌が殆ど。そうでなくとも、基本的に、指示語と擬音語と擬態語だけで表現しようとする。指示語だけで通じない場合、色で形容されればまだいい方だ。
「あ、それピッとやって…、うーん、それじゃなくて、そ、その赤いの…」みたいな。
もともとボキャブラリーに乏しいうえに、こういう環境にいると、ほとんど言葉が出てこなくなる。

そうした中、今、仕事の計画を考える文書を作成中だが困難を極めている。自分が今までやったことはことごとく忘れてしまう性質なのに加え、現状ではうまい言葉を見つけたり、論理的に考えたりする脳が死んでいる。1日2行ぐらいしか思い浮かばない。そこで、他の人たちの仕事を検索してみた。そんなことをしているうちに数年前に30台半ばで癌で亡くなられた女性研究者とその夫の闘病記のブログが1冊の本となって出版されているのを見つけた。

本のタイトルは、正直、メロドラマのようで感傷的過ぎて恥ずかしいのだけれど。ウェブ上で立ち読みしたら、脳にまで癌が転移した彼女が、治療の過程で、夫のことが誰だかわからないと泣いてしまう場面があり、泣けた。その後、となり駅の本屋さんで実際の本をざっと立ち読みさせていただくと、本人と夫という闘病の当事者によってその当時に綴られたものであり、二人とも文章をまとめることのプロであることから、タイトルや表紙の写真から連想されたほど感傷的な場面がほとんどないことを知った。というよりも、すでに発見されたときは癌が進行しており、すでに感傷を連ねるような状況には全くなかったということが大きいのだろう。

かつて、所属している会のメールで訃報が出されており、まったく存じなかった私は、随分と早くに...と思った。その後、その方が著書にまとめられた仕事を拝読する機会があり、本当に素晴らしく、とても感動した記憶がある。これからというときに、体、そして彼女にとって一番大切な脳も冒されていく苦しみがどれほどであっただろうかと思う。

命こそ尊い、生きていることが何よりも尊いということについて、そうだと思うこともあるし、そうだと思えないこともある。たとえば、生きることをやめたいほどの苦しみを持つ人に、この言葉は時として限りなく空虚に、残酷に響くとも思う。わが子がやってくる前は、ただ生きていることなんて当然過ぎて、考えることはなかった。そして最近の自分は、今、ごく普通に生きていられることを有難いと思えるようになった。またそう思える自分のことを嬉しいと思える。

週末、妹が来た。お知り合いの方からと言って、クリームをもらった。とってもかわいい!ありがとうございました。

それから、アリを埋葬した。バイバイまたね。

2009年10月16日金曜日

とうとう


昨日は何もしない/できない1日だった。
つまりいつもどおりということかもしれないが。


午前中、早めに保育園に行く。2時間半程度預けて、その間雑用をするつもりだった。そして気になる体調不良については午後にでも病院に行ってみるつもりだった。が、ネットで見つけた近所の医院に電話すると、血液検査をするなら午前中のほうがよいとのこと。そこで急遽、その医院に行くことに。ただ電話をした時に、医院名を名乗るわけでもなく、電話で医師らしき方がやたらに長くお話を聞いてくれ、高齢らしき彼が何度も同じ事を聞くのには、少し不安を感じた。暇なのか?!

前から散歩中、通りがかりでみたことのあったこの医院はごく普通の民家。自転車で数分足らずで着いたものの、やはりあまりに人気がないので入るのをやめようかと思ったが、勇気を出して入ってみた。
誰もいない・・・

ブザーを押して声をかけると、院長らしき、先ほど電話で応対してくれた医師が出てきた。期待していたその院長の娘さんであろう女医さんは、尿検査の時だけ出てきた。言葉が非常にゆっくりで聞き取りにくく、表情があまりない。んんん?!?!?

結局、診察が始まるまで誰もいない割には長く待たされて、診察スタート。診察室は完全に昭和の町医者の雰囲気。雑然とした机に、パソコンもなく薬品などが入った木の戸棚が並び・・・院長先生は非常に丁寧にお話を聞いてくれた。で、聞いた話を私の保険証のコピーの紙の余白に書き込んでいる。書き込みつつも、時々同じことを聞いたりする。また自分が大学病院にいた際の60歳台の女性で妊娠反応が出たというとてつもないレアケース、ドイツでの早い離乳、そして小泉政権から医療が悪くなったというようなはなしをしてくれた。

予想に反して?!次の患者さんが来て、血液検査の業者の来る時間も迫っているとのことで、採血して終了。あとで時計を見るとほとんど1時間半近くいたことになる。大掛かりな検査機材もなさそうだし、今の診療報酬の点数では、こういう診療は本当に厳しいだろう。しかし本来、ホームドクターの役目ってこういう風なんじゃないのかなと思う。

夕方、散歩に出かけたら、1ヶ月ぶりに近所のママ友さんにスーパーで偶然であった。我が子を見て開口一番、「あれっ、髪の毛切った??」と。切ったとしたら、これって頭頂部がうっすら長い波平さんで、後は五分刈りってことになるけれど・・・一応女の子なんだけれど・・・いろいろと積もる話が尽きず、立ち話だったけれどとても楽しかった。

アリが逝った。

2009年10月14日水曜日

3,4カ月検診


3,4カ月検診があった。
まあ検診と言うと聞こえはいいが(笑)、問題はBCG接種があること。そう、ハンコ注射!

3種混合の接種は9月末に個人医院で、ほとんど泣くこともなく無事終了した。が、しかし、今回のハンコ注射!

何が恐ろしいって、あのミニチュア拷問道具のような器具をぐいぐい押しつけられ、挙句の果てに注射痕が残ってしまうということだった。というかまだ過去形にはできないのだけれど。

あの注射痕、注意してみていると、この夏場には、かなりひどく残ってしまっている若い人を結構見かけた。そもそも日本では結核の罹患率も高いらしいし、だったらBCG効いてないんじゃん、で結核が重症化して後遺症残るぐらいになる確率ってどんだけだよ、とかなりふてっていた。そう今日までは。

とはいえ、いざ当日となると、やはり一人だけ接種拒否する勇気もなく・・・
4,50代の茶髪を結った女医さんが腕組みして待っていて、接種中、わが子を抱き抱えた私がわーきゃー言っていると、呆れられた。わが子も今回は泣いた。注射したところが自然乾燥するまでひたすら待って、終了。

3,4カ月検診はと言うと、これまた齢4,50代の黄土色(こういう表現はないな)の髪にまっピンクの口紅に、ギャル系(かどうかはわからないけれど)のグラデーションが入ってラインストーンまでついているような完璧なネイルをした女医さんが担当。まあわが子はこれでもかというぐらいにこにこ、ばたばたしながら、完璧にふるまった。よってお墨付きを頂く。

ちなみに身長68センチ、体重7.5キロ。この身長はほとんど7,8カ月の平均だ。このところ体調不良に加え、抜け毛も著しい私。完全母乳なので、搾取されるだけされている感がある。最近は私の方が冬を越せずに、カブトムシのアリよりも先に逝くんじゃないかという噂もあり。

母親の方の体調不良ということで、保健師のカウンセリングを受け、離乳食の話を聞いて帰路に。

帰りにスーパーによって特売のサンマとバターとマヨネーズを買って帰宅。
注射痕、母ちゃん恐ろしくて見られません。

2009年10月11日日曜日

復活気味


ここ1カ月ほど、自分の体調が悪いことばかり書いていたけれど、少しづつ回復しつつある。わが子の方は、若干鼻がぐずぐずしたり、ゼロゼロしたり。

外出活動?も再開。

まず、新宿まで、わが子のパスポートを受け取りに行った。受領には本人が出向くことが必須なので、なかなか行けなかったが、このままではと思い、出発。雑踏の中を歩き回る気も起きず、とんぼ帰りだった。誕生100日祝いを狙って申請したのだけれど、発行日は99日目になっていた。パスポートの顔写真、髪の毛が近隣某国の支配者のようで・・・

久しぶりに週末出かけた。また小田原へ。

ゾウのウメ子もいなくなった今となっては、とくに何がある街でもない気もしないわけではないが(笑)、私はこの街が大好き。地方都市の衰退はここにも見えるようで心配だけれど、城下町の落ち着きや整然とした文化的な雰囲気がある一方で、素晴らしい海もあり。素敵な街だと思う。

海に行く途中で、お城の向かいにあるとても立派な小学校でバザーが開催されているのを発見。そこで5冊100円で絵本を手に入れ、中学生の吹奏楽団の演奏を少し聴いた。それからビールを飲みながら海辺を歩いて漁港まで行き、そこでお刺身定食を頂き、お城の方に戻る。お城の乗り物公園の電車に乗り、空になったゾウ舎の前で少し休憩し、干物とミカンを買って帰ってきた。ゾウ舎の前に張られていた市長の追悼文がとても気が利いていて、涙腺が緩んだ。

次の日は、スーパーのお弁当を持って、近所の砧公園まで散歩。いい日和だったのでとても人が多かった。そしてそのまた次の日は駒場のあたりを散歩。

外出した時は、その大部分は、抱っこひもで担がれたままお父さんの胸で寝ているわが子だが、今回は、目を覚ますと、周りの風景を興味深そうに眺めていた。

今週末は復活途上の割には、無理しすぎたかも。後に回されるのが、勉強になるので、もうそろそろ本格的に生活を立て直したい。

そういえば、我が子のオムツがMサイズになった。それからレンジで焼き芋を作る方法を試したら、かなりおいしくて嬉しかった。